迎 春
2025.1.1
新年あけましておめでとうございます。
年の初めを皆様とご一緒に迎えることが出来て、大変有難く存じます。
今年は特にそう思います。
昨年起きた多くの出来事、それに伴なう心や身体や霊的な変化によって得たもの,
また失ったものの全ては私自身への教訓となりました。
そんな中で見たある映画の一場面が強く心に残りました。
ホームレスの男性が大切なものを失う不安で助けを求めた時に、彼の友人から
話された言葉です。
悲しみに満ちた3人の人が平和を見つけるために、聖地を目指して巡礼の旅をして
いた。
皆、袋を二つづつ持ち、前と後ろにぶら下げて旅をしている。
一人目の男は前の袋に悪いことを詰め込んだ。罪、悲しみ、失ったものや怒りなど。
そしてそのことを考えながら歩いた。
後ろの袋には希望、感謝などを詰め込んだ。しかし旅は進まなくなってしまい挫折した。
二人目の男は前の袋に喜びや希望や良いことを詰め込んだ。
人にも見せたりしていた。そして後ろの袋には悪いことを詰め込んだ。
袋はとっても重くて彼も歩けなくなり、旅は終わった。
三人目の男は前の袋に良いものを詰め込み、後ろの袋に悪いものを詰め込んだ。
しかしある考えが浮かんできて、その考えのせいでどんどん歩けるようになった。
後ろの袋に穴を開けておいたのさ。そして悪いことを道に落としていったんだ。
おかげで聖地に到着した。
君は何人目? とホームレスの彼が聞きました。
三人全部さ。 悪いことは、病気の息子の姿、その苦しみ、書いた同意書のことや後悔。
とても時間がかかったけど、今では、亡くなった息子のいい思い出だけが残ってる。
息子をより良い場所へと送り出すこと、それが最大の愛だったとわかるようになった。
間違っていたかもしれないけど、たくさんの愛を送ってきた。
記憶も同じさ。 過去を未来の重しにするな。 歩き続けろ。
私にとって、人生の初期に起きた死の記憶とそのトラウマに立ち向かうという機会を、
言葉で表現することは難しいことでした。このお話は、それを代弁してくれています。
仮死状態で閉じ込められた記憶の中から、私のチャイルドを生きる世界へと連れ帰
ろうとしました。それは単なる記憶ではなく、大人の私の身体と感情と精神に直接
影響を及ぼし、逃れられない凄まじい苦しみと恐怖を体験した日々でもありました。
人生を経験しないまま、世界のカーテンが閉じられてしまった幼い自分を見つけた時、
私にはどうしようもないとか出来ないという気持ちが無くなり、ただただ生き返って
欲しくて、私はあなたに生きて欲しいと伝えたくて、夢中でヒーリングを続けました。
八か月の間に何十年もの月日を歩んだ気がして、すっかり年を取ったように感じました。
しかし少しづつ少しづつですが、生きる力を取り戻していきました。
下ろされていた人生の幕が再び上がって、チャイルドが生まれて初めて外の世界を
見ることが出来た時、私はヒーラーでもある自分にいっぱいの感謝を伝えました。
自分に深く感謝するという経験が乏しいのですが、
この時は、止まらない涙の中繰り返し感謝しました。
チャイルドの目に映る世界は、今どのように見えているのでしょう。
年を経て高齢になった私の中に、幼いチャイルドが寄り添っています。
舞台の裏側にあった世界が教えてくれたのは、破壊と闇と絶望や無関心は死への旅
なのだいうことでした。
この旅は、世界中でも家庭の中でも自分の中でも行われていますが、
問題はその破壊行為をしながら、自分や人や正義や幸せを守るためにしていると
信じてやっていることです。
私も、重い袋に詰め込んだものをいくつも捨てた気がします。
嵐の月日を経て、今もこうしてまだ生かされているおかげで、
新しい地平線を前に今年の旅が始まりました。
皆様の船出が、穏やかな平安と健康と愛に満ちた年でありますように
心よりお祈り申し上げます。
葉香
前頁へ
ホームへ
次頁へ