K.
H様(公務員40歳) (電車恐怖や自殺恐怖、脅迫神経症からの回復)


 
 前世療法という言葉を初めて耳にした人は、おそらくこの言葉の「前世」と言う部分をとらえて、そこに心霊的な印象を強くもつのではないでしょうか。 前世の有無という問題はさておき、これが一つの心理療法であるこ と。そして相当に効果が期待できる手段であることを、私の体験をふまえて紹介したいと思います。

 先ず、初めに私自身が前世、つまり魂の輪廻転生を信じていると言う点を明記しておきたいと思います。次に、私の神経症の病歴について触れておきます。
幼い頃から神経質の傾向を示していた私ですが、大学に通うようになってから脅迫神経症に悩まされるようになりました。具体的な症状としては、電車恐怖、自殺恐怖、勉強不能等で、それらは森田療法(不安をそのまま受け入れる生活態度を身につけて、精神強化する療法)により一応の解決をみました。 ところがここ数年、鬱状態に陥ることが頻発し、再び神経症の症状が戻ってきたことから、何らかの心理療法を受けようと思っていた矢先、前世療法を知ることになったのです。また、この療法を選んだ動機の一つに、自分の前世を知りたいという思いがあったことも、記しておかなければなりません。
 
 それでは、実際に行った前世療法の内容に移ります。
まず、セッションの前に、ナビ役の伊澤先生とコミュニケーションをとり、記憶をたぐる際のキーワード設定などをしておきます。セッションは薄暗く静かな部屋で全身がリラックスできる椅子に身体をあずけながら、伊澤先生の誘導に従って、掘り起こした記憶を私が口述する形をとります。なお、その間は意識を失っているわけではありません。
 一回目のセッションでは、前世まで退行せず、4歳位までの記憶をたぐった程度に終わったものの、心理療法としては大きな収穫を得ました。
母親への憎悪、男らしく振舞えない自分への攻撃、そして父親への敬慕といったものに関連した映像が、鮮明によみがえり、それらを一つ一つ受け入れているうちに、私の感情がオーバーフローしてしまうところまですすんだのです。前世の自分には出会えなかったものの、退行によって解放される劇的な心の変化を経験することができました。
 二回目のセッションでは、思うように退行できず難渋しているうちに、ふと自分が兵士の格好をして、草原に座って休息をとっている映像が飛び込んできました。しばらくすると、今度は、石畳の上でたくさんの子供と遊んでいる映像に移行しました。私は、作務衣のようなものを着ており、どうやら修行僧のようです。これに関連する映像が次々と現れ、寺子屋で教えている場面、本堂で読経する場面など驚くほどの鮮明さで浮かんできました。残念なことに、現世の私に関連した人は見当たりません。やがて僧としての私は不幸な死を迎え、この不思議な体験は終わりました。

 このセッションで体験した僧としての記憶が自分の前世であるのか、実のところ半信半疑で、単に空想を記憶として誤認したにすぎない可能性も強いと思っています。 しかし、問題はその効果なのです。 その後、短期間にはっきりと私の内面は変容したと断言できます。 まず仏教でいう因果律の考え方で、物事をみることが自然とできるようになりました。つまり現象を単独ではなく、連続でとらえるということです。私の中では輪廻転生も確信に近いものとなりました。その結果、恐れることが消え心の問題も著しく緩和されました。他の人に対して怒ることも消え、かわりに怒らせるようなことをする人に、自分は何をしてあげようかと考えるようになったのです。
これらの変化は、新しい自分になったというよりも、昔の自分がやっていたことを思い出したような感覚で、努力して得た気が全くしないのは不思議なことです。結局、セッションで見た前世の姿を現世の自分が疑い深い目で見ているうちに、脳の一部分が前世の自分に書き換えられたのかも知れません。

 また、その後の霊的な高まりも特筆しておきたいと思います。
最近、ある著名な霊能者から霊感の強さを指摘されることがありましたが、これは以前の私にはなかったことです。瞑想中に右手が熱くなり、その手を腹部にあてたら、胃痛がきれいに消えてしまったこともありました。そして諸々の「気づき」が驚くほど速くなり、鋭くなっています。さらに、私の周りには信じられないような偶然の一致が多発し始めました。
これらは前世療法を受けてから起こったことなのですが、もともと神経症の治療のために行ったセッションなのに何故このようになったのか、全く解りません。もしかすると、頭の眠っていたところがこのセッションのおかげで覚醒したのかとも考えています。

 以上、前世療法を受けての個人的な体験を述べてきましたが、締め括りとして二点ほど今の私の想いを記すことをもちまして、この体験談を終えたいと思います。
まず、魂の転生など存在しないと考える人にとっても、前世療法は一つの物語療法として優れた方法ではないかということです。ただし転生を信ずる人の方がより親和しやすいのは、当然かもしれません。
最後に、前世療法を受けて本当に良かったということです。もう過去の自分が何者であるか、という興味は失せ、魂の連続性を強く実感しながら今を生きる自分だけで十分だという想いです。そして何よりも嬉しいのは、こうした内面の変容を経て、心の深い部分から生気が漲ってくる自分を感じることです。

                                              -了-





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