月に一度のペースでセッションを受けて、さまざまな過去世、インナーチャイルドを体験してきました。伊澤先生に出会わなければ、私は遅かれ早かれ精神を病むか体を壊すか、そのどちらかだったと思います。1年前の私は、家族に対する怒りや嫌悪、嫉妬などの感情の渦中で身動きがとれず、ギリギリまで追い詰められた状況でした。心理学や精神世界に関する本を読みあさって、自分がアダルトチルドレンだということが分かりました。が、何から手をつければよいのか見当がつかず途方にくれた状態で、インナーチャイルド療法のプロを探しはじめ、伊澤先生のサイトにたどりつきました。パソコンの画面の中で、伊澤先生が「いらっしゃい」と微笑んだ気がして、すぐにメールを出したところ、丁寧なお返事をいただきました。それが伊澤先生との初めての出会い。本当に幸運だったと思います。

約1年にわたって受けたセッションの内容を、おおまかにまとめてみました。

伊澤先生は、その日に取り組むテーマを、キネシオロジー(タッチフォーヘルス)で、またある時はカードを使って探りあて、課題に取り組むために一番効果的な方法(インナーチャイルド療法、前世療法等)で過去への旅に導きます。

セッションは楽しいけれど、同時にとても苦しい体験でもあります。特に最初の頃はセッションそのものも、次のセッションまでの毎日も、かなりきついものでした。なぜなら、過去世やインナーチャイルドに退行し、感情を体験する中で、自分では認めたくない感情や記憶が現れ、それと真正面から向き合わなければならないからです。時には、自分ではまったく気づかなかった感情や思い込みがでてきて、驚くこともあります。いろいろな感情や記憶をじっくりと見つめる時がとにかく一番ツライ。けれども、自分の中からそれらをずるずると引っ張りだして、じっくり検証してから解放すると、必ず変化が起こります。まずセッション中に変化がもたらされ、そしてその後、日々を暮らす中で小さな「気づき」がいくつも起こり、ゆっくりと変化が進みます。今では苦しさよりも楽しさをより多く感じられるようになりました。

前世療法、インナーチャイルド療法だけではなく、一人で二役(自分と夫)になりきって夫と自分の関係を探ったり、流産の後、ずっと自分を責め続けていた感情を解放する、というカウンセリング的なセッションも受けました。

一つ一つのセッションが、私にとって、とても重要でかけがえのない経験です。

 

※前世療法

A:時代  B:国  C:人物  D:状況  E:死ぬときの状態・感じたこと 

F:解放された感情・思い G:大いなる存在からの贈り物  H:その他

※インナーチャイルド療法

A:現世の自分(何歳か)  B:場所  C:状況・感じていること

 

第1回  (前世・インナーチャイルド療法)

A:時代は分からない  B:砂漠の中の町  C:10歳くらいの少年  

D:はだしか、それに近い状態の足が見えた。石でできた家がたくさんある暗い印象の町。両親は幼い妹だけをつれて、私を捨て、他の町に行ってしまう。私は血のつながりのない老婆に引き取られて、孤独な青春時代を送る。  

E:20歳くらいで肺病にかかり、湖に浮かぶ小舟の中で孤独な死を迎える。死の間際に見ていた空がとても青く美しかった。「こんな自分では両親に捨てられてもしかたがなかった」「さみしい人生だった」という感情。 

 

   A:現世・3歳頃の私  B:上野動物園の象舎の前  

C:小さな赤い靴をはいた自分の足が見えた。両親と動物園に来ているが、全然楽しくない。なぜかひとりで象舎の前にいて空を見上げている。「私はひとりぼっちだ」と感じている。ぼうっと空を見ていると、伊澤先生の声が。「どうしたの? 動物園にはひとりできたの? お父さんやお母さんは?」 

「ひとりでいるの。お父さんもお母さんも大嫌い」 そう答えると、ものすごく悲しい気分になって、涙がどんどんあふれてきた。

 

   父に対する激しい怒りの原因を探り、その感情を解放することが、この回のテーマでした。うまく過去に退行できるのか不安でしたが、初めて過去世を見ました。それは古い、音のない映画に似ていました。画像はぎこちなく流れ、印象的な場面で止まる事が多い・・・コマ送りで映画を見ているような感じです。

インナーチャイルドは過去世に比べて、かなりはっきりと感じることができました。

  過去世とインナーチャイルドに共通する点は、「両親に愛されていない」「孤独」「自分という存在に確信がもてない」ということ。インナーチャイルドを抱きしめて、「あなたを心から愛しています」「生きていていいよ、ひとりじゃないんだよ」と伝えると、チャイルドの冷たい体が温かくなり、しっかりと心臓が動きはじめたようでした。伊澤先生の導きに従って、インナーチャイルドを現在の自分に統合すると、自分自身が力を取り戻したように感じられ、不思議なことですが、自分の周りの色彩が鮮やかになり、物や人の存在感がリアルに感じられるようになりました。

 

第2回 (前世療法)

 A:中世  B:日本  C:20代の修行僧(男性)  

D:山道を登っていく自分の足が見えた。山の上では大勢の僧が何かの祈祷をしていて、私はその中の一人。瀬戸内海に面したお寺で修行をしている。京都の大きな寺で修行するための試験を仲間と一緒に受けに行くが、結果は不合格。京都にあこがれていたのでとても残念な気持ち。

E:自分の寺に帰ってくるが、まもなく寺は海賊に襲われて全焼。私は仲間と共に賊に捕らえられて、体に石をくくりつけられ満潮時の海でおぼれて死ぬ。寺での生活は、仲間と一緒でとても楽しかったけれど、もっと真剣に勉強すればよかったという後悔がある。

 H:今回のテーマは妹に対する感情の元を探ることでしたが、僧侶の彼女(彼)と京都のお寺ですれちがったくらいで、今回ははっきりと関係することはありませんでした。修行僧の自分については、京都のお寺を受験する理由が学問の探求ではなく、京都に行きたいからというところが、僧侶らしくなく若者っぽくて面白いと思いました。伊澤先生に「妹さんとの関係はとても重要な課題で、まだあなたの側にそれと対峙する準備ができていなかったのね。でも、扉はいつか準備ができたときに必ず開きますよ」と言っていただき、安心しました。

 

第3回 (前世療法)

 A:中世  B:ポルトガル  C:大学生(男性)

  D:狭い路地を通り抜けている私の足が見える。ぎっしりと寄り添うように建つ家並。大きな鉄の門。通っている大学は急な坂の上にある。私は黒く長いマントのような服を着て、髪をうしろで束ねている。学校では神学を学んでいるが、キリスト教の教えに疑問を抱き、率直な意見を論文にしたところ異端者として大学を追われる。その後は自暴自棄になり、町でお酒ばかり飲んで喧嘩をする毎日。 

E:ある日、酒場で友人と喧嘩をして剣で刺されて死ぬ。自分の体から流れる赤い血を見て、人間には思考するための頭脳だけではなく、肉体があるのだということを初めて実感する。神学生の私は、物事を頭で理解しようとばかりしていて、体の存在をまったく忘れていたことに気がついた。死後、肉体を離れた魂は、くるくる回ったり飛んだりして、肉体を持たない自由さを楽しんでいたが、次の場面で、私(私の魂)は静かな波が打ち寄せる美しい浜辺のような場所でたくさんの魂と共生している。私はたくさんの魂の一部なのだけれども、それは一部であると同時に全体でもあるという、不思議な、すべてが満ち足りているという感覚がある。肉体に入っていた時よりもずっと自由で、静謐で、幸福な状態だ。人間の考えだした宗教は不完全なものではあるが、どんな宗教も「神」の表現のしかたが違っているだけで、行き着く先は一つ。「神」は存在する。「神」という名称が適当でないなら、大いなるものと呼べる存在があるということを、私の魂はずっと前から知っていると感じた。

 

第4回 (前世療法)

A:14世紀ごろ?  B:スペイン〜中東  C:若い女性  

D:スペインの城壁に囲まれた町で、粉屋を営む夫と生まれたばかりの子供と幸せに暮らしているが、街がイスラムの軍勢に襲われ、夫は死に、子供は行方不明になる。私は町の女性たちと共にイスラム圏の街につれて行かれ、売春宿に売られる。娼館をとりしきっている男は冷たい目と口ひげが印象的なとても残忍な人物。彼に逆らう者は腕や耳を切り落とされる。何人かの勇敢な女性たちは彼に逆らって死んだが、私は怖くて一度も逆らうことができなかった。 

E:人生に絶望し、梅毒にかかって死ぬ。「生まれ育ったスペインの町に帰りたい」「死んでしまった夫に会いたい」「こんな苦しい人生が終わってほっとしている」、特に「女性に生まれるのは損だ」という強い思いがある。 

G:祭壇の上に、金色にかがやく十字架がありました。伊澤先生に、「十字架の光があなたの体の細胞のひとつひとつに染み渡っていくのをイメージしてみましょう」と言われ、その通りにすると、まるで自分の体が金色にひかり輝き始めたような気がしました。光が増すと共に、男性に対する嫌悪感や恐怖感が消え去っていくように感じました。

このセッションを受けた日の夕方、小さな金の十字架のペンダントを買いました。それからしばらくの間、ペンダントを毎日身につけていました。今でも時おり、男性への嫌悪や不信があらわれてしまいそうな日に身につけるようにしています。このセッションの後、男性に対する嫌悪感や敵対心が薄らいだ気がします。

H:女性としての過去世を見たのは、今回が初めて。スペインで粉屋をしている頃の夫は、今の人生での学生時代の知人でした。イスラムの娼館の男は、現在の夫(!)。この二人については過去世を見ているときにすぐに分かりました。過去世での顔かたちは現世とは違っていても、存在自体から発するエネルギーが現世と同じなのです。

粉屋としてスペインで暮らしているころはとても幸せで、私にも女性として幸せな時があったのだと知って嬉しくなりました。しかし、イスラムの町に連れて行かれてからは辛い毎日。男性への不信や嫌悪がつのります。今の人生において、私は男性が基本的に苦手で、男性に対する嫌悪感や恐怖感があるのは、この過去世の娼婦の体験がもとになっているのだと分かりました。また、現在の夫が時おり暴力的なセックスをするのはなぜか、それを嫌々ながら受け入れてしまう自分や、その後にいつも感じるみじめな感情は、この過去世が大きく影響しているのではないかと思いました。

 

この過去世を体験して数日後、不思議な夢を見ました。夫とセックスをするかどうか迷っていて、いざことに臨もうとすると、私の体内から大量の汚らしい液体がどろりどろりと流れ出てきます。液体が全て流れ出てしまうと、私はものすごくすっきりとして、すがすがしい気分になりました。夫は私の体を気遣うこともせず、流れ出た液体を気味悪そうにじっと眺めています。私はそんな夫を見て、「この人のこういう無神経さが大嫌いなのだ、もうこの人と二度と交わるまい」と思います。そこで目が覚めました。覚めてからも、体のすがすがしさは消えることはありませんでした。

 

第5回 (前世療法)

A:江戸時代後期?  B:日本・大阪  C:40代〜60代の女性  

D:裕福な商人の妻。3人の子供がいる。夫は妾と共謀して財産を全て取り上げ、私は子供を連れて家を出る。苦労してなんとか子供を育てあげたが、キツい母親だったために子供が寄り付かず、孤独な老後。人形浄瑠璃を観ることだけが唯一の楽しみだった。 

E:老衰による孤独な死。「男は信用できない」「女は男の犠牲になる」という強い感情  F:現世での私は、女性らしい格好をすること(スカートをはいたり、お化粧をすることなど)や、赤やピンク色という温かみのある色を身に着けることに、強い抵抗感を持っていました。また、映画やTVでカッコいい俳優をみると、「ああいう男性になりたいな」と思うことがたびたびありました。同性愛者ではありませんし、自分ではそれがごく普通な感覚だと思って生きてきたのですが・・・。今回の過去世を見る前に、伊澤先生が私の体に問いかけてみると、『私は男である。女であってはならない=「私の真実」』という反応がでました。この結果には驚きましたが、体(心?)の深いところで「ああ、そうだ」と納得していました。

 今回、この過去世を体験したことで、男性性と女性性の統合をし、「私は男である」「私は女であってはならない」という思い込みから解放されました。  

G:祭壇にピンク色の大きな布がかけてありました。「その布を体にまといなさい」というメッセージが聞こえました。その布をまとって、全身がピンク色に包まれると、体がほうっと大きく息をついたような気がしました。  

第6回 (インナーチャイルド療法)

  A:現世・6歳  B:実家  

C:自分の家にあがる階段の下にいる自分が見える。家に入りたくない。家には母と生まれたばかりの妹がいて、私は自分の居場所がないと感じている。秋に妹が生まれた。春から私は小学校にあがらなければならない。そんな環境の変化をとても不安に思っている。父と母はいつも喧嘩ばかりしていたのに、妹が生まれたら派手な喧嘩はしなくなった。「私では父と母を仲良くさせてあげられないのだ」「この家庭にとって私の存在とはなんだろう」という無力感と疑問。私は妹に嫉妬し、彼女の存在を認めたくない。母は妹を可愛がらない私に憎しみの感情を抱いている。

父は自分の人生が思うようにいかずイライラしている。生意気で敏感な私がうとましい。父は自分の人生が思いどおりにならないのは、この結婚生活のせいだと思っている。私が小学校へ持っていく新しい教材に自分の名前を書いていたら、父はそれをとりあげて「お前が書くと汚い」と言い、自ら字を書き始めた。私は「下手でも汚くてもいいから、自分が書きたい!」という言葉をぐっとこらえて、父の手元を眺めている。

    さらに胎児のころの自分に退行する。母の不安を感じる。「お腹に子供がいるとこんな醜い体になるのか」「夫は子供を産んだあとも、私を女としてみてくれるか心配だ」「子供が生まれてしばらくの間は仕事ができないが、経済的に大丈夫なのだろうか」と考えている母。父は新しい車が欲しくて、車のことで母と毎日喧嘩をしている。母は「もうすぐ子供が生まれるし、私も仕事を休まなければならないのだから、車は当分我慢して!」と父に向かって怒鳴っている。父は車が買えないのは、母とそのお腹にいる子供のせいだと思っている。私は、自分の存在が否定されているのを感じていて、「こんな両親のもとに生まれたくない!」と強く思っている。

   

両親の、とりわけ母親の不安やマイナス感情が刷り込まれて、生まれたときからずっと「自分ではどうすることもできない絶望感・破滅した感情」が私の中にあったことを知りました。「のぞまれていない存在」という大きな無力感。インナーチャイルドを統合することで、絶望感や無力感を解放し、自分本来の力を取り戻しました。今まで押しとどめられていた喜びの感覚が体の奥に満ちてくるのをしっかりと感じました。

 

第7回 (インナーチャイルド療法)

A:5歳  B:通っていた保育園  

C:保育園の庭にいる。多くの園児たちが砂場やブランコで遊んでいるが、私は全然楽しくない。

伊澤先生に、その時に感じていたことを言葉にしてみてと言われ、「砂場の砂を山にしたり崩したりして何が楽しいのか分からない」「ブランコのどこが楽しいのかさっぱり分からない」「みんなは何がそんなに楽しくて騒いでいるのか分からない」「保育園の先生や大人たちは、子供は子供らしくと押し付けるから嫌い」「なぜ毎日同じ時間に同じ場所に来て、みんなで同じことをしなければならないのか理解できない」「部屋で本を読みたいのに、子供は風の子といわれて外に出されなければならないのか」「なぜ眠くもないのに昼寝をさせられるのか」「なぜおいしくない給食を無理に食べなければならないのか」「自分のペースでゆっくり食べているのに早く食べなさいと言われるのが嫌」「自分の思っていることを正直に先生に話したら子供らしくない可愛くない子だと言われて傷ついた」などなど、たくさんの感情があふれ出てきた。自分の子供時代は感情があまり無い子だったと思い込んでいたので、自分が実はこんなにたくさんのことを感じていたことに驚いた。

母に「保育園に行きたくない」と言うと、「なにを言ってるの」と一蹴され、全くとりあってもらえなかったことも思い出した。

これらの体験から、集団の中で自分の思っていることを言うと仲間外れになったり、変な人間と思われる。特に大人には、自分の思っていることを言っても失望させられるだけ。自分の本音を隠して周りに同調するふりをしていれば、表面上は平穏にものごとが進み、仲間外れにされたり意地悪をされたりすることもない、という意識が私の中にできた。

 

私の中のチャイルドが自分の思いをどんどん口にすると、伊澤先生は大笑い。でも「あなたの言うことはよく分かりますよ」と言ってくださった。チャイルドは、自分の言うことを理解してくれる大人がいるということに感激した。

 

    今回、インナーチャイルドに会って、私は決められた場所に決められた時間に行き、みんなと同じことをすることに強い抵抗感と嫌悪感があるのが分かりました。自分には会社勤めや事務職が向いていると思い込んでいたのですが・・・・・。転職を繰り返しているのは、自分の本当の心からその職業を選んでいないからだということがよく分かりました。そして、おそれずに自分の本心を声に出すと、とても気持ちよい、すがすがしい気分になるということも知ることができました。聖域を離れ、今の自分に戻って来るとき、祭壇の上に贈り物が置いてありました。扇子。開いてみると満開の桜が描かれており、裏面は美しい空色でした。メッセージは特に聞こえませんでしたが、伊澤先生は「その扇子の意味は、いつか必ずわかる時がきますよ」とおっしゃいました。
                          <扇子の意味は二ヵ月後にわかりました。>            
   

  

第8回(インナーチャイルド・前世療法)

   A:1歳頃  B:家の台所  C:テーブルの上にお皿が何枚かおいてあり、私から遠い位置にあるお皿にパンがのっている。私はそのパンをとろうとして一生懸命に手をのばすが、うまくとれずに、手前のお皿をひっくりかえしたりしている。台所のむこうの居間には父がいて、私に背をむけてテレビを見ている。白黒で壊れかけているテレビは、ちょっとした振動で画面が砂嵐になってしまい、父はイライラしているようだ。私は、父はパンを取ってくれないこと、父は何もしてくれないだろうというあきらめの感情を持っている。

    その感情が生まれることになった、もっと古い過去へ退行した。はだしの足。石でできた家が建つ暗い町。この過去世は前に見たことがある。初めて過去世に退行したときに見えた場面だ。両親に捨てられる子供の私。この過去世の母は現世の父であることがわかる。私は口がきけない10歳くらいの少年。家は貧しく、母は口のきけない私に働き口がないことにいらだっている。別の場面。母は荷物をまとめて、町を出て行く準備をしている。私は一緒に連れて行ってもらえないことを薄々感じている。両親は私を置き去りにして、妹を連れて、どこか別の町に行ってしまった。残された私は、血のつながりのない老婆に引き取られて、20歳くらいで死ぬ。両親に捨てられた時点で、私は生きることをやめてしまったようだった。

     過去世の母と私の決定的な関係を作った場面を見る。テーブルに座っている私。私が空腹なことを母は知っているが、食べ物を何も与えてくれない。私は口がきけないので唸ったりして、お腹がすいていることを懸命に母に伝えようとしているが、母は食べ物を与えてくれずに冷ややかな目で私をじっと見ているだけだ。私はそんな母に絶望して、この人に自分の意思を伝えることを今後一切やめようと強く決意した。

 

    「お母さんに言いたかったことを言ってみて」という伊澤先生の声が聞こえました。

    「お母さん、お腹がすいているので僕に何か食べるものをください」

    「お母さん、僕は口がきけませんが、そんなに悪い子ではありません」

    「お母さん、僕をおいていかないでください」

    「お母さん、僕をもっと好きになってください」

   私が泣きながら母に言いたかったことを言うと、伊澤先生が泣いているのが分かりました。一緒に泣いてくださっている伊澤先生の心が身にしみて、更に涙があふれてきました。

    1歳の私が父に言いたかったこと。

    「お父さん、あのパンを取ってください」 

    「お父さん、私の存在を無視しないでください」   

    「お父さん、私が欲しいものは何なのか、気がついてください」

   私は食べるものが欲しかったし、なによりも愛がほしかった。けれども過去世の母(現世の父)との関係から、自分の意志や感情を伝えることをあきらめてしまったのが分かりました。現世の父は私にとって男性全般の代表であり、父に意思や感情を伝えられないということは、他の男性に対しても意思や感情を伝えられないという思い込みのまま、現在にいたってしまっていたのでした。幼いころからずっと、男性に対して、私はずっとつきあい方がわからないままでした。何を話していいものか、まったくわからないのです。とりわけ父に対して、どんな態度をとっていいのかわからず、とりあえず礼儀正しくしておこうと決めていました。

前回のセッションのあと、就職が決まったのですが、これから先、職場の男性達とどうつきあっていけばよいのかわからず、強い不安を抱いていました。自分ではそれほど不安に思っているわけではないつもりだったのですが・・・。退行してみて、過去の経験がどれほど大きく作用しているのかが分かりました。とてもつらく寂しい過去でしたが、退行して、過去の自分を統合することができました。すぐに大きな変化は起こるわけではありませんが、男性に対する苦手意識が次第に薄れていくだろうと思っています。

   G:祭壇の上に青い柄のペーパーナイフがありました。メッセージは、「このナイフで心をひらき、心の奥底にある思いや言葉をあらわしなさい」というものでした。これから先、最初はぎこちなくてもいいから、思いや言葉を、男性に限らず、身近な人に伝えていこうと思いました。 


 

私はこれまで、いつも漠然と不安で、いったい自分が何を望んでいるのかよく分かりませんでした。生きているという実感がなく、現実感が希薄で、いつもふわふわと漂っているような感じがしていました。また、肉親に対する負の感情は幼いころからずっと持ちつづけていたものでしたが、それを心の中においたまま大人になってしまいました。自分では、大人になったので憎しみや怒りは解決されたのだろうと思い込んで生活していたのですが、数年前からいろいろな出来事が重なり、見ないふりをしてきた感情が心の中から一気に浮上してきて、自分でもどうしていいのか分からない状態が続いていたのです。伊澤先生に出会い、先生のもとでセッションを受けるたびに、マイナス感情や現実感の希薄さが少しずつなくなっていきました。今は、現実世界と自分がはっきりつながっていると感じています。だんだんと自分を認められるようにもなりました。現実とつながり、自分を認められるようになると、身近な人間関係もよりよい方向に変化していくようです。肉親や身近な人に対するマイナス感情は、もちろん全くなくなったわけではなく、ふっとそういう感情がわいてくることもありますが、感情に振り回されず、感情そのものを冷静に見つめることができるようになったと思います。

さらにすばらしいと思うのは、神(大いなる存在)と地球への感謝を心から感じられるようになったことです。私は特定の宗教は信じていませんが、無神論者ではありません。大地を意識し、太陽に手をかざして「この命を与えてくださってありがとうございます」と毎朝祈るのが習慣になりました。そして今まで私が食してきた、またこれから食していくであろう生き物の命にも感謝を捧げます。(他の生命を食さなければ生きられないという地球上の生き物のシステムはなんとかならないものかと思いますが、こればかりはしかたがありません。命を無駄にしないでありがたくいただくしかないです)

魂は繰り返し生まれ変わる、とはいっても、この肉体でのこの命は一度限りです。目に見えない大きな力によって生かされていることに感謝をしながら、今日一日できるだけのことをする、という覚悟で、毎日を生きていこうと思っています。

天と大地と、守護霊さまたち、そして伊澤先生に心から感謝いたします。そして、両親や妹、今まで出会ったすべての人たちに心から感謝できる日が、そう遠くない未来に訪れると信じています。


                                −了ー


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                  昨年の6月に初めてお訪ねくださり、それから10ヶ月に及ぶ
                  セッションの記録をまとめて送って頂きました。退行療法の他
                  タッチフォーヘルス、ゲシュタルト療法など私の持てる全てを使い、毎回
                  お心の状態に応じた目的を設定して行われました。自分の心
                  を受け止めていくことがどれ程困難かは、皆様も経験がおあり
                  かと思います。しかしYさんは、見たくない感情や受け入れたく
                  ない事実を必死になって直視し受け入れ、癒していかれました。
                  その度に、潜在意識下の感情の浄化と精神の変革がなされて
                  いきました。どのセッションも皆様のお心に触れる部分があるか
                  と存知ます。貴重な体験談を皆様とともに分かち合いたいと思
                  います。苦しみの中で、最後まで信頼を寄せ続けてくださった
                  Yさんに感謝を込めて。        







Y.Y様 (女性)神さまからの贈り物・「私」を発掘する長い旅の記録)  H16.4.19
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