N.S様(ライター・女性) (過去へ旅する前に。見方のコツなど)


*過去へ旅する前に

 私にとっては2回目のセッションです。 前回気づいたこともたくさんありましたが、今回は、過去生を見る前に、私の問題点をきっちりしぼりこんで行きました。
先生がたくさん質問をしたり、カードを使って潜在意識を読み取りながら、私が気づいていない問題点に近づいてゆきます。 そして、今回は、私が避けてきた「真実」を見にいくことになりました。

*小さなお坊さん

 最初に見えてきたのは、黒い袈裟を着たお坊さんの私。
いつもは足元から見えていたのに、わりとすぐにこの姿が浮かんできました。「女性?男性?」と先生にたずねられて、「女性かな?」と思ったのですが、あまりはっきりしません。たぶん、まだ子供なのだと思いました。 私は、お寺の門をたたいています。押してみますが開きません。すると、近くに若い女性がいるのがわかりました。ピンク色の着物を着て、長い髪を後ろに束ねた女性です。私の肩に手をおいて、何か言っていますが、私は気づきません。私には、彼女のことが見えないのかもしれません。やがて、門の中に入り、お寺の和尚様に会うことができました。何を話しているのかはわかりませんでした。「重要な場面に行ってみましょう」先生の誘導で、次の場面にすすみました。

*きつねさんとの暮らし

 村が混乱しています。小さなお坊さんの私は、誰かを探しています。
「何があったのかしら?なんで混乱しているの?」先生が聞きました。どうやら、村を支配している人たちが、食料を自分たちのものにしていて、庶民が怒って一揆を起したようでした。細かいことはわからないのですが、そんな気がするのです。
さて、この時代の私の暮らしを見てみました。清潔な家にひとりで住んでいます。と、思ったら、あの女の人がそばにいました。「女の人の顔を見てみましょう」先生に言われてよく見ると・・・あ、動物の顔だ。よく見るとキツネでした。先生は、このキツネが何か悪い影響を及ぼしているのでは?と心配されたようです。私を通訳にして、キツネに質問をはじめました。「どこから来たの?」「なぜ、この人と一緒にいるの?」最初のうち、キツネは牙をむいて怒りましたが、そのうち、私には、キツネの気持ちがわかってきました。ひとりぼっちで淋しかったキツネは、ひとりぼっちの子供だった私を見つけて、女性の姿で面倒をみるようになったのです。でも、私をかわいがるあまり、ひとりじめしたくて、私を社会に出しませんでした。そして、そのせいで、私の心とカラダは成長をとめてしまったのです。つまり、この時の性別がよくわからず、子供のようだったのは、そういうわけがあったのです。「もし、あなたが、その子から離れたらどうなる?」先生の問いにキツネは「さびしくて死んでしまう」と答え、私の心に、やせたキツネが山に帰ってゆく後姿が見えました。「もし、その子があなたと離れたいと願ったらどうする?」キツネは「この子がのぞむなら、さびしいけどしかたない」と答えました。そのとき、私は「あっ」と思いました。私は、自分で大人になることをのぞみ、お寺の門を叩いたのです。それが、最初に見た場面でした。なるほど!そう思ったら、私の姿が少し大きくなっていました。

*きつねさんとの最後

 そのあと、私がお寺で修行しているところを見ることができました。
いきいきとして、仲間と笑いあったりして、楽しそうです。そのときの私は青年でした。男だったんだ。そのあとに見えたのは、老人になった私。お寺ではなく、昔の家に戻って、やはりキツネと暮らしていました。でも、キツネは、普通の動物で、ペットのような存在です。この人生の最後の場面に行きました。私は家の中でたおれています。キツネもあとを追うように死んで、1人と一匹が寄り添うように眠っていました。キツネのやさしさと、かなしさが、ふんわり胸に残っていました。

*この人生で学んだこと

 「この人生で、何に気づきましたか?」先生がたずねます。
キツネさんの溺愛の中で、私は依存することの楽さを知ってしまいました。しかし、依存して自分の主導権をすべて渡してしまうと、心や体が成長しないのだということに気づきました。そして、これはセッション後の帰り道の出来事ですが、黄色い袈裟のお坊さん(この方は、前回も登場)が頭に浮かんできて、「動物は、自分に危害を与えるものに対しては牙をむいて敵視するけれど、好きなものには惜しみなく愛情を注ぐ。人間も、時にはそのシンプルさを思い出す必要がある」というようなメッセージを伝えてくれました。

*次の人生へ

 今回2つ目の人生へ行きました。
最初に見えたのは、絹の靴を履いた自分の足。すぐに、自分が豪華なドレスを着た女性であることがわかりました。部屋には、白地に金の家具があります。私には、かなり歳上の夫がいて、なんでも買ってくれます。私は、夫を愛していませんが贅沢な暮らしに満足していて、夫もそれをわかっていながら、わがままを許しているようでした。その様子を見ているときに、淋しげに立っている青年の姿がちらついていました。この時は、誰なのかわかりませんでしたが、時間を少しさかのぼってみると、よくわかりました。町娘だった私は、裕福な家の青年に愛されて、妊娠します。それが、この青年。しかし、青年の家族に反対されて結婚はできず、青年の親族であった男性のもとへ嫁ぎます。それが、この時の夫。私は、裕福な暮らしができれば、それでよかったようです。

*好き勝手な私

 「ご主人は、知ってる人?」先生にそう聞かれました。
はっきりしないけど、現在の父のようです。現在の父は、おしゃべりで行動派。この男性は、無口で無表情で、感情を表に出さないタイプ。ぜんぜん違う人間でした。さて、結婚に飽きると、子供と、子供の父親である青年と一緒に駆け落ちします。私は、居酒屋のような店の女主人になり、毎晩、男たちに囲まれてご機嫌な毎日を過ごします。青年のことは放ったらかし、大きくなった息子も、私を嫌悪しはじめます。やがて、青年は、傷ついた心で自分の家へ戻ってゆきました。それでも、私はまったく罪悪感なし。男たちにちやほやされて楽しくてしかたありません。この時代の私は、男性にモテることをいいことに、好き勝手をしていたみたい。正直なところ、今の私には、ちょっとうらやましー。 

* 反省のない最後

 そんな生活が続き、息子もずいぶん大人になったころ、私は、ある男性に刃物で刺されてしまいました。私が彼の気持ちをもてあそんだためでした。「その男の人は、今の人生でかかわりがある人?」と聞かれ、一瞬重なったのが、今の仕事仲間。お互いよき相談相手でもある男友達。過去の人生で、こんなことがあっても、仲良くなれるものなんですね。おもしろいなぁ、と思いました。このあと、私は、刺された傷がもとで死んでしまいます。でも、男性たちや息子の心を傷つけたことをまったく反省しないまま、わりと楽しい人生だったと思いながら死んでゆきます。

* この人生を終えてみて

 死を迎えて、光の中に入って、この人生をみつめてみました。
自分の感情よりも、私の周囲の人たちの苦しみや悲しみが手にとるように伝わってきます。この人生の中のわがままな私は、他人の悲しみなんてまるで感じなかったのに・・・。私の魂は、それをちゃんと見ていたのかな、と思いました。
 
* おくりもの

 今回の過去生トリップの終わりに、私の前にあらわれたのは、前回にもあらわれた黄色い袈裟のがっちりしたお坊さんでした。「その方があなたに箱を渡します。中にはあなたへの贈り物があります」先生がそう言った瞬間に、もう中身がわかってしまいました。手のひらに乗るぐらいの重い金属のかたまりでした。私がふわふわと飛んでいかないように、その重りにしなさい、というメッセージも受け取りました。手に持ってみると、その重みが心地よく、とても安心しました。

*見え方

昨日、どんな夢見た?と聞かれて、思い出そうとすることがありますよね。そんな感じに似ていました。普通に見る世界とは違って、はっきりとは見えませんが、見たいところに焦点を合わせると、ボケていた部分がくっきりしたりします。この見え方で、重要度がわかるような気もしました。「その人はどんな人」と言われて、情報がぽんと飛び込んでくると結構重要な人だったりして。あと、おもしろかったのが視点です。私の場合、過去生の自分の右肩の後ろの少し上にいて、見下ろしているような感じです。なので、正面を見たい時には、意識してまわりこんで見ていました。

*感情

 過去生の自分が、何を思い、何を感じているのかがよくわかります。ただ、過去の自分が悲しんでいるからといって、悲しい感情があふれてくるということはありませんでした。言葉が、次々頭に流れてくるようなかんじです。「私は、かなしいようです」「彼女のことが好きみたい」と、言葉が流れこんでくるので、それを口に出しているだけです。だから、自分の声を聞きながら「へえ、そうなんだ」と思っている自分もいます。おもしろーい。

*こつ

 やっているうちに、コツのようなものをつかんだ気がします。ちょっとでも浮かんだことは、声に出してみることです。画面のはじっこに誰かの気配がしたら、いるのかな、いないのかも、と思う前に「誰かいる」と言ってしまいます。すると、TVカメラがそっちに向いてくれて、映し出してくれるのです。小さな言葉でも浮かんだら、ぱっと捕まえて口に出してしまうと、芋蔓のように、いろんなものが出てきます。また、こんなことあるわけない・・・と思わないこともコツかもしれません。この王子様ヘン!と思って、声に出すのをためらったのですが、声に出して、先生に誘導してもらったから、王子さまが人形だということがわかりました。先生は「そんな馬鹿な」とは決して言いませんので、見たものは、ちゃんと声にすべきですね。

                                                      -了-




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