逝ってしまった人との別れについて。

 人生の苦しみの一つに別れがあります。その中でも、突然訪れた愛する人との

死という別れの哀しみを、どのように乗り越えていけばよいのでしょう。 
真正面からその哀しみを見つめ取り組まれ、乗り越えられた方のお話をここに

ご紹介いたします。
先日、若く美しい女性Y。Tさんがみえました。
その方は再婚をなさっているのですが、最初の結婚でご主人を重病で
亡くされたのです。それも結婚して一年にも満たない幸せの最中に、突然やってきました。

具合が悪くなって入院して初めて病名がわかりました。しかも入院して何日もしない間に
死んでしまわれたのです。

どのような思いでそんな日々を乗り越えて来られたことでしょう。
それを見守ってくれたのが現在のご主人だったのです。

しかし今日までなかなか人生に前向きになれず哀しみを抱えたままでした。
彼女の全てを受け入れてくれてる夫に対して申し訳ないと思いながらも、亡くなった彼のことが
頭から離れることがありませんでした。
なかなか子供も授からず、焦りと苦悩の日々が続いていたため、おみえになったのでした。
現在の彼女に何が起きているのかを知ることなしに、セッションを進めること
はできません。まず、それを調べることから始まりました。


実際、そこで彼女に何が起きていたかというと、
逝ったはずの彼は、まだ本当は逝ってはいなかったのです。
彼女は気づいていなかったのですが、彼はずっと離れることなく憑いておられたのです。
夫の死を受け入れることができなかった彼女と同じように、彼も自分の死を受け入れることが
できず、お互いが真の別れをすることなく、今まで共にいたことがわかりました。


その日のセッションは、自分に何が起きているのかを知ること、そして本当のお別れをすること、
それを目的とすることから始まりました。

彼女と彼の対話を聞きながら、人と人との思いの深さをしみじみと感じ
聞きながらも、私はお二人に別れの時を告げました。
彼は新しい次なる場所でのお勤めに向かい、彼女はこの世界を生きるために。

セッション後Yさんは、彼を亡くして後の8年に渡る悲しみや罪悪感の意味を、全て理解なさったのでした。
そんな思いを後日、二通のメールでお送りくださいました。
感謝とともに、皆様と分かち合いたいと存じます。


最後に、それから半年後のご様子を、三通目のお便りを通して掲載させて頂きました。
Y.Tさんが死という別れを乗越えて得たものは、本当にすばらしい贈り物でした。

 


■Y.T様のお便りから
 今日はいろいろ有難うございました。

愛する人を失う経験は誰もがすることではないと思います。
できたら、したくない。
でも、してしまった人は自分の悲しみは誰にもわかってもらえない、
どこに持っていっていいのかわからない、そういう気持ちで押しつぶされそうになります。
自分の大切な恋人や夫や親や子供が先に逝ってしまって、残されたものは
「おいてけぼりをくわされた」と逝ってしまった人を恨むまでにもなりかねません。
愛情があった分だけ、悲しみはそれ以上の痛手を残されたものに与えます。
でも、「逝ってしまった愛する人が自分のことを死んでも気にかけてくれている、
愛してくれている。」それがわかればどんなに悲しみの重さは軽くなることだと思います。
事故や急な病気で愛する人を突然失った人ほど、心の準備ができていないままの
愛する人との別れは辛いけど、ちゃんと別れを言えた人とそうでない人では
悲しみも辛さも比べ物にならないでしょう。
私は先生とお会いして、彼の気持ちを知ることができました。
そして、ちゃんとお別れができました。
「お別れ」というか「またね」という感じに近いかもしれません。
8年前にぷつりと切れた私と彼の糸は繋がって、確認しあって、そしてやさしく切れました。
切れたけど、いつの日か必ず結ぶと信じています。
そして、糸の反対側の端は今の主人としっかり繋がり、結び目は堅くなりました。
 
私と同じように悲しみにとらわれてどうすることもできない人がたくさんいると思います。
悲しみの重さは人それぞれ違いますが、私の話を読んで少しでも心が揺り動いたら
勇気を持って先生の元へ足を運んで欲しいと願います。
何もしなければ、何も変わらないのです。
実は、伊澤先生の元へ向かうまで緊張と不安でいっぱいでした。
駅からの道のりもとても長く感じました。
なぜなら、はじめて会う人に今の自分の悩みを打ち明けることに戸惑いを感じていたからだ
と思います。
それでも、伊澤先生の元に行かなくちゃと思ったのは何かが変わるような予感がしたのです。
わたしの戸惑いに打ち勝つ何かが足を先生の元に運びました。
緊張してチャイムを鳴らして、ドアが開いて先生のお顔を見て、なんとなくぴぴっと感じました。
「暖かそう」という感じに似ていて、「この先生ならわたしの何かを変えてくれる」と感じたような
気がします。
 
セッション中は先生の言うことが映像にはならなくて、なんとなく明かりがぼーっと見えているだ
けでした。
自分の中の映像が見えるんじゃないかとちょっと期待していたんですが。。。だめでした。
でも、明かりが黒くなったり、白くぼんやりしたり、そして、彼を感じたときのイメージが
ピンクでゆったりとしたのを感じたときはとても幸せな気分になれました。
生きている彼がそばにいたときの雰囲気に似てました。
 
彼が最後に私に渡した結婚指輪の意味を今日知ることができて、本当によかったです。
彼自身、自分の病がどれだけ悪いのかも知らずにあっという間に亡くなってしまって、
私も彼も突然ぷつんと糸が切れたように離れ離れになってしまって、
なにがなんだかわからないまま相手がいない悲しみだけが私の心を支配していました。
でも、今日、彼が今でも私を愛してくれていて、その気持ちのままあちらに行ったことを見送
れて、本当に本当によかったと思います。
そう見送れた自分も「えらいね。ここまでがんばったね」と言ってあげたいです。
私も彼のことを今でも愛しているけど、その思いを抱えつつ今生きている私の道をしっかり歩
いていこうと思います。
・・・・・・・。
 
先生がおっしゃっられたようにいつの日か赤ちゃんがくることを楽しみに待つことにします。
未来を見ていればきっと、未来の赤ちゃんは来てくれますよね。
「来年には」と聞いたときには嬉しくて小躍りしそうになりました(^.^;)
こんなくよくよしていたら、未来から赤ちゃんもやってきてはくれませんよね。
今ならこの1年間の悲しみがここまでくるためのステップなんだったんだと思います。
 
本当に今日は素晴らしい先生にお会いできて、素晴らしい一日を過ごすことができました。
帰りの電車はとても心が和んで、にやにやしそうな勢いでした。
帰る途中、あまり買わないケーキを買って、彼と私のそれぞれの旅立ちをささやかにお祝いしま
した。
私は私の人生を歩んでいきたいと思います。
今日は新たな人生の始まりになりました。
 
いつの日か伊澤先生に「赤ちゃん、来てくれました!」と嬉しい報告ができる日を楽しみに、
ゆっくり待ちたいと思います。
             ー了ー
 
Y.Tさんからの二通目のお便り
伊澤先生、暖かいお返事をありがとうございました。 
昨日、あれからいろんな思いがするりと私の中に浮かんできました。
それらの思いは無理やりではなく、強がっているわけでもなく、
ただただやさしく2つの考えが浮き出てくれました。
 
思い出の品は私にとってはお守りだと思っていたけど、実はそれらが私を過去に縛っていたの
かも
しれません。
それらを手元から離そうと思いました。
もちろん捨てるのではなく、実家にある形見の品の箱の中に戻そうと思います。
 
2つめは銀行の通帳を一つだけ、旧姓のままのがあるのですがそれを新姓に変えようと
思います。
「好きな人の苗字になりたい」と思っていた私は彼の姓を名乗るものを見て、
彼の妻であったことを再確認したかったのです。
でも、それも変えようと思います。そう思えるようになりました。
 
この2つの考えは強がりではなく、自然と私の中に浮かんできた思いです。
先生がおっしゃられた「肉体は死んでも精神は周りに漂う」という言葉を聞いて、
彼の生きた証は形にとらわれなくてもいい、私の心の中にいつもあるんだと、
思えたのです。「彼のもの」に執着する気持ちもなくなりました。
・・・・・・・・・。
 それは、昨日彼と愛を確認した上で、お互い離れて次の人生へ向かえる準備が
できたという暗示なのかもしれません。
離れるけど、寂しくない。今なら、そう思えます。

             ー了ー



 
       

上記を掲載してから半年後、Y.Tさんから三通目のお便りを頂きました。
それは、本当にうれしいお便りでした。

・・・・・・・・・・・。
HPの「死というわかれについて」を読み返して今だに涙がでてしまいますが
読み終えると涙と一緒に温かい気持ちが湧き上がってくるので、
流す涙もつらいものではありません。
彼をやさしく思い出すような感情があのHP全体から感じ取れて、
今ではわたしの大切な「お気に入り」です。

実は伊澤先生にご報告がありまして。。。
赤ちゃん、来てくれました!

去年の12月にセラピーを受けたときに先生が「来年には赤ちゃんが生まれます。」
とおっしゃられて、小躍りしそうな気持ちを押さえるのに必死でしたが、
本当に来てくれました!!

今5ヶ月でようやくつわりも落ち着いてきて、ご報告できるようになりました。
・・・・・・・・。

新しい命が来てくれて、
改めて亡くなった彼と過去のわたしには干渉しあい、影響を受けている所が
あったんだなと思います。
「見送りたいけど見送りたくない、幽霊でもずっとそばにいて欲しい。」という
願いは 残されたもののわがままなんですね。
本当に愛しているなら笑顔で見送ることが、逝ってしまう人への
最高の愛情表現であり、自分にとっても新たな道が開く呪文なのかもしれません。

妊娠してからというもの、今までやさしかった主人はさらにやさしくなり
実家の両親は涙ながらに喜んでくれました。
わたしの過去を身近で接して悲しみを見てきた分、
普通の両親以上に感動してくれました。

新しい小さな命ですが、今まで経験したことのないつわりの苦しみに耐えながらも
大好きで大好きでしょうがありません。
まだわずか数cmの赤ちゃんのパワーに驚かされます。
あと、6ヵ月後に会えるのが待ち遠しくてたまりません。
・・・・・・・。
・・・・・・・・・・。

 

Y.Tさんとご家族、生まれて来る赤ちゃんにあふれる光と
平安が満ちていきますように。