世界中の森から多くの木々が伐採されていく日々、
                               環境保護が叫ばれてからどのくらいの月日がたった
                               ことでしょう。でも止まることはありません。
                               ある日の前世療法のセッションでのこと。森の木々の痛み
                               を、とてもリアルに経験された方が体験談をお寄せ
                               くださいました。樹が倒されていく光景を悲痛な気持ちで
                               見ているしかなかったYさんは、少しでも木々の心を伝え
                               ようと、メッセージを書いてくださいました。また、豊かな恵み
                               に満ちた森は命を育む母なる自然そのものであることを。  

                 


     森の命、樹の言葉

                       Y.N 様

 
8月に前世療法を受け、
9月にインテグレーテッド・ヒーリングを受けました
そのせつは、大変お世話になりました。
おかげさまでその後、生理不順は見事に解消され、
毎月一定の周期に戻りました。
また、その後の生活も「楽しいなあ〜!」と嬉しくなるようなときが
徐々に増えてきて、いいぞこの調子!といった感じです。

   
伊澤さんの誘導で、一つ前の過去生を見ました。
ビジュアルで見る場合と感覚で感じるような場合があるそうですが、
わたしは、映画を観ているような感じでした。
いつも眠っている時に夢を見るのと同じです。
カラーで、風景も人物も見える感じです。

最初の誘導で、森の入り口に立っていました。
着ている物は麻の様な天然素材で、
マントみたいな感じで、足には靴を履いていないようです。

木の実などを樹からそのままもいで、
皮を剥いたりせずそのまま食べているようです。
たぶん王様のような地位の高いひとに命じられ、
住処を与えられてそこに居るようで、
森を護るような役目をする立場だったようです。
働いた分の報酬としてお金をもらったりすることはなく、
たぶん仕事と住む家を与えられただけで
充分、王様(というか国家権力のようなもの)から
恩恵を受けていると感じていたようです。
もしかしたら、わたしは、障害を持っていて文明社会に適応できず、
島流し的に森に追いやられていたのかもしれません。
(この辺は、なんとなく、自分が森に居る状況と、使命感から、
そのように感じました)

日が昇り外が明るくなると、好きなときに起きて、森を散歩して、
おいしい木の実や果物など、自然のものをたべ、
川の水を飲み、ベッドがひとつとあとは何もない粗末な木の小屋に住んで
自然のなかでのびのびしていました。
つまり殆ど何もしていません。森とコミュニケーションをとることだけが
わたしの仕事だったようです。
そう思うと、障害を持っていたというよりは特殊能力を買われて
森を護っていたという感じなのかもしれません。

家族はいないようです。
誰も一緒に住んでる気配はなく、でも寂しくはありません。
森には精霊のような仲間たちがいて、いつでも来てくれます。
肉体を持っている人というよりは、なんというか、精霊のような
森の小人のような感じのやさしくて愉快な生き物(?)です。
わたしは言葉を喋っていませんでしたが、
精霊さんたちはいつも必要なときそばにきてくれていました。
ドアから入ってくるのではなく、そっとそばに現れました。
わたしが森を歩く時も、物理的に足で歩くというような感覚がなく、
想いでふっと森の上まで行ったり、目当ての樹まで飛んでいくような感じでした。
過去生でのわたしは、その森から出たことがなく一生を終えたようで、
感覚的に、直感を使って生きていました。
好きな時に好きなことをしても、好きなように振舞っても、
誰かに傷ついたり傷付けられたりもしませんし、
そんな感情があることすら知らなかったのかもしれません。

ただひとつ、伊澤さんの誘導で
「その人生の中で一番悲しかったことを見てみましょう」と訊かれた時、
森の木を広範囲にわたって伐採される光景が浮かんできて、
体が引き裂かれるような気持ちになり、号泣しました。
木が痛がって苦しんでいるのを見て、辛くて苦しくて声を上げて泣きました。
王様(国家権力のようなもの)の命令で、樹を切るようなことになったらしいので
す。
樹を切る人たちを、必死で止めようとするのですが、
わたしは、小さく無力で、しかも人間と話す言葉を殆ど持ってなかったようなので、
人々に木の痛みを伝える術を持ち得なかったようです。
他のひとたちには木の痛みが分からないようで、それが余計に辛かった。


なぜ森林を伐採する必要があったのかを、
その人生でのわたし自身が良く理解していなかったため、
自分自身の役目であるはずの
木を伐採して生活している文明社会と、
自然との架け橋になりえなかったような気がして、虚しい気持ちで死んでゆきました。
みんなに木の気持ちを分かって貰えなかった無念さと、
伝えることができなかったことを臨終のときに悔いていたようです。

改めて、木々の心を言葉にしてみようと思いました。
セッション後は、もちろんよく森にも出かけるようになりました。
生活の中ではかなり樹を意識するようになりました。
樹に話しかけたり、枝に触ってコミュニケートしたりしています。
先日の三連休では、美ヶ原高原に行ってきました。
360度山に囲まれてとーっても心安らぎ、落ち着く自分を発見しました。
過去世での経験が、現世にどんな形で繁がってくるのかまだ良くわかりませんが、
とにかく「リラックスするには樹が沢山あるところに行けばよい」ということが
わかりました。そして何より樹の心というものを!
        
                    −了ー