A.F様 (鍼灸師・男性)
(セッション後高まる潜在能力)
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 セッションに入るに先立って、前回後の変化等について話しあった。
その後、より良い治療ができるようになったが、何かの拍子に’悲憂’の感情に支配されることがあり、何か封印されている’とてつもない悲しみ’があるような気がしてならないことなどを付け加えた。今回はまずカードを引くことから始まった。今回のテーマは内なる無価値観についてのようだ。

 セッションに入り、黄色もしくは白っぽい光に導かれて記憶の中へ。始めにくぐる過去世の門は前回と同じである。たどり着いた’自分だけの部屋”は大きな書斎のようなところ。今回は安らぎを感じられる場所だ.壁一杯に書籍が置かれている.重そうな本ばかりだ.私はというと初老の紳士、アングロサクソン系の顔立ちで少し憂いのある雰囲気を漂わせている。仕立ての良い背広を着て口ひげを蓄えている.高価そうな調度品が置かれ、高い天井は天窓になっている.厚い木材で出来た扉がある.床は大理石か?品が良く年配で小柄な執事と私はにこやかに話している.私はその家の主であり、執事からの深い愛情が感じられる.執事は私の幼少時代からこの家に勤めているようだ。
 街並が見える。石畳、腰が丸く長い丈のスカートをはき、羽根飾りのようなものがついたつばの広い帽子を被った婦人もいる。口ひげを蓄えて帽子を被った紳士たちも見える.馬車も通っているが車も見える。少なくとも第2時世界大戦よりは以前のように思えた。1900年代初頭か?私は森の中の道を車を運転している。空は晴れている。車のハンドルは細くてやや大きく、丸いメーターが2〜3個並びパネルはウッドである。ワイパーも見える。道路は左側通行だが、車は左ハンドル。開けたウィンドウに左肘をのせ風を感じながら走っている。三角窓も開けている。助手席には誰も乗っていないが、以前は特定の人物がよく乗っていたらしく、その人への紳士への想いのようなものを感じる。後ろの席には5〜6歳くらいのちっちゃな女の子が乗っている。娘のように思える。白いひらひらしたワンピースを着て、つばの広い帽子をかぶりリボンのようなもので顎を止め、両足は床に届かないので前に投げ出して座っている。瞳はブルーである。女の子の横にはリボンをかけたプレゼントの箱、と画用紙のようなものを筒状に丸めてやはりリボンで縛ってあるものが置かれている。
 車は大きな邸宅に着いた。建物はやや高台にあり、その前にはどこまでが敷地なのか分からないほど広い庭が広がっている。召使が7〜8人出迎えに並んでいる。その中に先ほどの執事も見えたので自分の邸宅であることがわかった。娘が車から飛び降りて太った召使の女性に飛びついた。先ほどの画用紙の筒を差し出して中を見るように言っている。あけるとそれは彼女のために娘が書いてきた絵だった。娘のはにかみ笑いが見える。二人ともとても嬉しそうだ。娘は屋敷に入りプレゼントを抱えて、脱兎のごとく階段を駆け上って行く。(車の中のシーンから感じていたことだが、彼女は現世での私の次女である。)
 私は二階の一室に入る。そこにはベッドに横たわる20代半ばの女性がいて、私を見て微笑む。その光景を見た途端に次々と思い出した。彼女の名前はジェーン、私の妻である。彼女の顔色が病的に白いのは肺の病に犯されているから.彼女は幼い頃から私の家へ出入りしては、勉強をみてあげたりするうち恋心を抱くようになって結婚した。年齢が離れていることや娘が幼いのはそのためであった。今でも私にとって彼女は娘のような存在なのだ。彼女の寝ているベッドは窓際に出来るだけ寄せている。妻が自分の好きな庭が良く見えるように希望したから。今も窓は目一杯開けられ、白いカーテンが入ってくる風にそよいでいる。私は医者であり、自他ともに認める名医である。しかし、肺の病に犯されている妻を治すことは出来ない。妻の寿命は後1年もないだろう。まるで’砂で作られた像がはらはらと崩れていく’ように感じながら、眠る妻を見て立ちすくんでいる。そのとき葉香さんの声がした「それこそが無価値観ですよ。」今日のテーマが何となく分かった気がした。そしてもう一度妻の顔を見てみると、現世での私の長女の顔が重なった。
 葬式の場面が見える。妻の葬式だ。とてつもない空虚な気持ちで脚に力が入らない。娘は妻の棺から離れて前出の太ったメイドと一緒にじっと立っている。棺が穴に入れられ土で覆われた。墓地は高台にあり、松のような樹が植えられている。上が半円形のやや低めの墓碑がたくさん見える。使用人も主も分ける事なく葬られており、代々の主の人柄が偲ばれる。周りは白い木の柵で囲まれている。空から天使が二人降りて来られて妻の魂を運んで行くのが見える。参列者は皆うつむき加減でいるのに、紳士は一人その天使の方を見ている。(彼にも見えているのだろうか・・)と思った。
 街並が見える。大きなロータリー状の街並の一部を見ているような映像だ。道は石畳である。その並びの一軒のパン屋に入って行く。往診に来たようだ。太った中年の女性に案内されて奥の部屋へ入る。粗末なベッドに寝かせられている老人が見える。女性の父親だ。私が以前から診ていた患者であるが、もう話すこともできない。老人は私に気づくと目をかっと見開き、力を振り絞って痩せ細った右手を差し出す。「どうして死ななければならないんだ。死にたくない!先生、何とかしてください!」という老人の想いが伝わる。しかし、紳士は老人から1〜2メートルの距離をおいてただじっと立ったままである。立ちすくんでいるようにも見える。そこで映像がぴたっと止まってしまった。(確かに老人には、医学的立場では何もしてあげられることは無いが、手を握ってあげるくらいできるはずなのに・・)等と考えていると、突然紳士の気持ちが分かった。彼は’怖い’のである。死を容認していない老人に対しての処し方が分からないのだ。それで動けないということもあろうが、それよりも剥き出しの感情をぶつけられるのが’怖い’のである。これが彼のアキレス腱なのである。
 次に重要な場面へと誘導された。森の中、紳士が少年を担いで歩いている。「げっ!ほんとか!やめてくれ〜」と思ったが、映像は一切構わず進んでいく。斜面を下って川に出た。紳士は少年を川に投げ込む。この下流には滝があるから、滝壷が死体を隠してくれる筈だという紳士の思惑が分かった。彼は名誉が惜しかったのではない。お金が惜しかったのでもない。ただ彼は怖かったのである。おそらく少年の家族から浴びせられる剥き出しの感情が。少年の遺体は下流の大きな岩に引っかかっていた。腐乱が始まり、獣に食べられたのであろう、左脇はえぐられている。(もう一度顔を見ると、なんと現世での妻の顔になっているではないか) 娘が次女で、妻が長女、殺して遺棄した少年が妻。余りに出来すぎているようで、葉香さんにも言えなかった。とりあえず少年の身体をきれいにヒーリングし、供養することにした。修復は比較的簡単に進んだが、左脇の部分にてこずったので、天使様に助けて頂いた。少年は起き上がり、私が非礼を詫びると許して貰うことが出来た。少年は天使様に連れられて上がって行った。
 17〜18歳に成長した娘が見える。娘の傍らには優しそうな青年とその両親がいる。娘は微笑んでいる。幸せそうだ。紳士の感じている安堵感が伝わってくる。
人生の終わりのシーンへと向かった。雨の中、紳士は石畳の車道をとぼとぼと歩いている。胸の外ポケットに娘がくれたハンカチを入れ、内ポケットに妻の写真、手には日記か何か特別な本を抱えている。下りの左カーブを過ぎた。車の音が聞こえてくる。振り向くと黄色いヘッドライトの光が迫って来た。私は左側から車に当たり、死んでしまった。殆ど自殺のような死に方だと思った。
 葉香さんの提案で紳士の心臓(心)の中に入ることにする。そこにはぽっかりと開いた穴があった。穴の向こうには庭の風景が広がっている。庭に立つと見える彼のお気に入りの風景のようだ。葉香さんにその穴をどうしたいかと問われたとき、私は彼の少年への行為に対して、怒りに近い感覚を持っていたので、「そのままでよい」と答えた。「それでは貴方の寿命が縮まるのではありませんか?」と再び葉香さんに問われて、納得し心の穴の修復を試みた。修復は簡単だった。それが終わるや否や紳士は彼の心臓から、頭を抜けるようにシュッと飛び出て、3メートル程の高さでUターンし、私の頭から心臓へと入り込んだ。そして今も紳士は私の心臓にいる。
 聖域に戻って、ハイアーセルフより贈物を頂く。足元から光がもやのように立ち上がってきてやがて私を包み込んだ。すばらしい気分だ。そして、宝島の地図のようなものが現れた。程なくその地図に重なって人骨標本のようなものが現れた。よく見るとパズルのようになっていて、欠けているところがある。それらも光に包まれている。その意味を感じ取ろうとしてみた。「何が欠けているために病がこうして現れるのか。それを探して手を差し延べていきなさい。また、その作業は貴方にとって決して苦しみを伴うものではなく、宝探しのようにわくわくと行えるものとなるでしょう」と言われている気がした。
 終了後は今回も非常に疲れ、ふらふらとしていた。やはり40〜50分の感じだが実際は1時間半ほどもたっていた。物忘れをしてしまうような、自分が自分としてここにいないような感覚は2・3日続いた。ただし嫌な感覚ではなかった。セッション中に重要な場面に行って下さいと言われて、意識的に移動させたりする際に、今回は雲を突き抜け、宇宙空間まで上がって地球を眺めることがあった。そこはやはり暖かな’光’が感じられる場所だった。 私は雨が苦手だった。雨の日はどうしても憂鬱で気が重かった。ところがこのセッション後は、それが見事に消えて、雨が平気になった。雲の上には暖かな’光’がいつでもあるという認識ができたからだろうか?そのうえ雨の中で行われた少年の死体遺棄や自殺を再体験し、改めてそれらに対して何がしかの対処を行ったからだろうか?
 セッションの翌日の明け方、不思議な夢を見た。「オックスブリッジ」「アルシア」という声を聞いたのである。双方とも知らない言葉だったが、後日オックスブリッジの方はイギリスのオックスフォード、ケンブリッジの両大学が散在する地域を総称して、そのように呼ぶらしいことが分かった。アルシアの方はは未だに不明。
その後、時間がたつにつれて次のように思えてきた。このイギリス人の医者であったときと、今回の人生はおそらく対になっているのだ。そこからは、今生での課題の重要なポイントがいくつかは導き出せるはずである。
それらは、医者であったときの弱さを克服し、一層深く人を癒していけるように努めること。妻(少年)とともに人生を歩みやがては妻を見送ること。長女(妻)に心身共にわたる適切なケアを与えること。次女(娘)の傍らに父として在り続けること等ではないだろうか。(実はこれらに関係するであろう今生での’思い当たる節’も相当数あるのである。
                                             −了ー




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