伝言

                       2019.7.17



身近な家族の死に際して

この数か月数多くのことを体験しました。

一つはあるクライアントさんの死、もう一つは母の死を通して。

多くの方々の疑問や問いに溢れたテーマではありますが、

個人的に経験したことの一部をお伝えしたいと思います。


今年の若葉の季節に亡くなったクライアントさんは死後、

娘さんのためのメッセージを私に託されました。

ご病気のため痛みの中で亡くなられたのですが、

彼女の死後も苦痛が続いているのではないかと、娘さんが心配して

いることをご本人は知っておられました。

肉体を離れた後、痛みから解放されとっても自由で元気だと

伝えてほしいと話してくれました。

娘さんへの大切でプライベートな伝言をお聞きするという機会を

得ることが出来たのは、生前の彼女のエネルギーに触れていたことや

信頼して頂けていたこともあったかと思います。

その方は私の最年長のクライアントでした。ちっちゃくてかわいくて

強い風が吹く日には、近くの信号を渡り切ることが出来るかしらと

心配しながらも、お会いするのを楽しみにお待ちしていた方でした。



もう一つは、母の死後について。

とても身近な存在であったためか、毎日死後の様子を知ることが出来ました。

介護施設で亡くなりましたが、息を引き取るとすぐに母は実家の自分の部屋

に戻っていました。早く帰りたかったのだと思うと・・・。

死後の母にとって数日の間、死を意識することが出来ないほど

生きている実感がありちょっと戸惑っている様子でした。

しかし10日目頃、肉体を離れて生活していることにだいぶ慣れてきた様子でした。

その間私は、毎日供養のための祈りの言葉を唱えました。

母の心の中から、こだわりや生きていくことを困難なものにしてきた激しい感情が

だんだん浄化され解放されていき心が安らぎ、より平安に満ちた心境になっていく

様子は、母から届くメッセージによってありありとわかりました。

それは生前には一度も聞いたことがなかった言葉でした。

生きる苦しみから解放された母からは愛の言葉ばかりが語られました。


ある朝、起きたときにふと今日、母はどこにいるのだろうと

意識を集中してみたら私の部屋にいました。

バナナサンド・目玉焼き・ソーセージ・ミニトマトを用意し

一緒に食べました。母にもコーヒーを。

生きているときに伝えられなかった言葉が出てきました。

想いの数々が溢れて胸がいっぱいになりました。

そして心から愛してあげられなかったことを申し訳なく思います。


母への供養の祈りは、母に対してだけでなく私自身の汚れた想いを

浄化するものであったのだと後になって気がつきました。

私にとっての母は、この世で最も怖い存在でしたが、

その朝の母は、美しいやさしさと静かな安らぎに満ちており、

光の姿を見せてくれていました。初めて目にする姿でした。
       (目にと言っても、この肉体の目ではないのですが。)

その日を境にもう、この地上のどこかに母のエネルギーを感じることは

なくなりました。


日本では四十九日の法要が行われますが、この日数には意味がある

んですね。

人によって様々ですが、次のステージへの準備となる大切な日々です。


肉体を持つということは、五感によって様々なものを見、喜びを味わうけれど

その反面苦悩や恐怖も感じます。

五感に囚われ、個人的な思考やこだわりによって、本来の安らぎに満ちた

自分の本当の姿を思い出すことすら出来なくなったりします。

そのため自ら死を選んだ場合は、生命の自然な流れをどうしても妨げてしま

うようです。


どんな苦しみや絶望もそれを超えられるヒントは

その人自身の中にあるということ、また人は死なないということを

光を放つ人の姿をみて教えてもらえたことは、この人生での

素晴らしい贈り物でした。


                               葉香





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