花の訪れ
2011.4.1.
今年は花の蕾も固く閉じ、寒くて物凄く厳しい冬の日々でしたね。
ほとんど全ての人々にとって、今年の3月は様々な想いとともにおありだったことと思います。
桜の開花宣言が東京ではなされましたが、味覚を無くした舌のように今年の春を感じています。
またヒーリングを受けに来られた方々も、その多くがこのたびの地震の影響を受けていらっしゃ
いました。恐怖や不安を感じていたり、パニックをおこしていたり、うつ状態になって来られた方も
いました。
先々のことがわからず、これからどうなっていくのだろう。今夜は余震の心配もなくゆっくり眠れる
だろうか?明日もその先も水や食料はあるだろうか?子供たちを安心して育ててゆけるのだろうか?
生命を維持するための、基本的な供給への不安が人々の心を圧倒していました。
日がたつにつれて被災地にもほんの少し道が出来て、その道が明日はさらに少し長くなるにつれて、
私たちの心にもほんの少しづつ、先々への一歩が踏み出せていってるようです。
何も進んでいないかのような一歩でも、一人一人の中でその変化が起きています。
私たちの先祖が何千年も暮らしたこの地で、また新しい明日に向かっての一歩が。
あまりにも被害が巨大すぎて、失ったものも多すぎて、悲しみも苦悩も痛みも半端じゃなくて、それ
を表す計りさえこの世にはありません。
こんな時、最も必要なものを一つと言われたらどう答えたらよいのでしょう。
地震後、遠隔で被災地の方々をヒーリングしていてびっくりしたことがありました。
全てを失った人々や、恐怖や不安や苦痛は、幼い子供の時に味わう恐怖ととてもよく似ていたから
です。子供たちは親からの保護なしに生きてゆくことは出来ません。
今日一日の親の保護が、子供の命をつなぐための大切な命綱となります。
被災した人々が命をつなぐために最も必要としているのは、それととてもよく似ていました。
それは、今日安心して生きていかれることです。
そして明日もあさっても、ずっとずっとず〜っと安心があること。
その安心の糸を毎日つむいでいくことは、子育てと同じようにとってもとっても重要なことだと思います。
このような危機的状況の中でどのくらいの人々が安心を見出せるかは、それぞれの家庭がどれ程
幼子や家族に対して、保護と安心を提供できているのかと比例しているような気がいたします。
子供はお母さんのまなざしが自分に向けられているかいないのかすぐに察知します。
国家の安心をつむぐものは、一つ一つの家庭で創り出されているのです。
誰一人見失われることもなく、物言わぬ声が聞き届けられるように、心に触れてもらえるように。
安心して眠れるように。恐怖に脅えることなく母の暖かい腕に抱かれていられるように。
明日の不安に脅えることのないように。清潔な寝床が用意されるように。
どうか、安心が全ての心を満たしてくれますように。
葉 香