春の川辺
2014.4.6
年に数日しか見られない満開の桜の季節、そして花が散る枝の先に残されたうす緑の葉。美しい日本を象徴する景色が今繰り広げられています。桜は日本人に共通のある想いを起こさせるような気がします。
木の全ての枝が花で一杯になるその華麗さとか、短い花の命が終わるとき風に舞い散る見事な演出、そして後に残す若芽。寒く厳しい長い冬を越えてやっと訪れる春の日。でも開いたと同時にそれを待ち構えていたように吹く花嵐。
朝に道を聴かば夕べに死すとも可なりと歌われたような潔さ。
毎年、また来年もこのような美しい花の季節を迎えられますようにと祈りたい気持ちになります。
私の住む街には玉川上水に沿って多くの桜の木が植わっています。また梅や欅、こぶしなど多種多様な木々が川辺を飾っています。時たまその川に白鷺を見かけたりすると、わぁ〜と幸せな気分になります。
そんな美しい川辺で、ずっと泣いていた春の日々を思い出します。
もう十数年以上前のことですが、当時、環境破壊がクローズアップされていて破壊的なニュースが私を捉えていました。一番悲しかったのは、この桜を未来の子供たちが見れるのだろうかと危惧したためでした。
何かの映像で見た未来の姿は、悲惨な子供たちの姿でした。それを思い出して。
桜の花吹雪が舞い散る夢のように美しい川辺の散歩中、涙が止まらなくなってしまったのでした。
当時そのことで頭が一杯になりあまりにも苦しくて、どうすればその苦しみから逃れられるのだろうと悩んだ末こう決心しました。これから後何年私の命が続くかわからないけれど、生きている間はこの花を喜びとともに受け取ろう。そして未来に向けて永遠にこの美しさが残っていくように祈りつづけよう。そのために出来ることを少しでも行動に移そう。
そう決心して、もう泣きながら花を見るのを止めました。
そんな日のことをこのコラムを書きながらなつかしく思い出しています。
あれから時が流れ、私の人生にも波乱に満ちた出来事が起こり続けました。家族・友人・仕事などあらゆる関係性についての学びがてんこ盛りの日々だったように思います。その中で大きな病を経験したり、それを乗越えたりしながら、生きるってそれだけですごいことなんだなぁと思いました。
ただ生きているだけで、それはすごいことなのだと思います。だってこんなに多くのことを経験しなければならないなんて、それでも生きているなんてすご過ぎると思うのです。それに加えて私たちが住むこの地球という星の変化を受け止めながら、返っていくその日まであらゆる経験を積んでいきます。
つらいこともさらにもっと悲痛なことも、苦しいことも絶望も孤独も、耐え難い経験も、この生きるという経験の中に盛り込まれています。だけど、人の優しさや愛に触れて死にそうな心がよみがえったり、崇高な音楽や絵画に触れて魂の躍動を感じたりしながら、私たちはこうした経験を通してどこに向かおうとしているのでしょうか。そのことに桜の花は答えてくれます。光の下に咲く満開の花のように、私たちの命が最高に美しい輝きを発する時に向けて愛を学び、真実を追究し、宇宙の理を知りながら魂の開花に向かおうとしているのだと。
寒く長い冬を経験し、短い花の時を経て、萌えだす若芽のように。それを毎年繰り返しながら・・・。
苦しみはただ苦しむためだけにあるのでは決してないということを、教えてくれています。今年もそんな季節を迎えることが出来て、とっても幸せに思います。
葉香
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