愛さないでもいい



                                 2014.8.10

暑い日々いかがお過ごしでしょうか。
久しぶりに氷アイスを食べながら、故郷で過ごした夏の日々を思い出してい
ました。開け放った戸口から流れ込む涼しい風を感じながら、氷いちごを家
族みんなで食べた日を思い出します。
汗をかいて仕事で疲れた両親の体に、涼しい風と冷えたかき氷が染み渡っ
ていくのを見て、そばでちょっと安心したことを覚えています。。
その風をあるヒーリングの中で感じたことがありました。


それは統合失調症を患った女性をヒーリングしていたときに、経験したことで
す。病は重く、一つ一つの道が厚い扉でおおわれていました。しかしある日を
境に扉が大きく開かれたことがありました。

彼女は、自分のせいで両親が離婚したと信じていました。かけがいのない家
族の別れや、父親を失うということは耐えがたい経験でした。死にそうな苦し
みから逃れるために、あるルールが作られました。
「人は私を愛さなければならない。」というものでした。そうすれば、二度と辛
い別れも悲しみもなくなるだろうと考えたためです。
4歳の彼女が考えたこのルールは潜在化し、作ったことすら忘れ去られまし
たが、実際にはその後25年間、人間関係の基調となりました。

当然のことながら現在までこのルールが成功したためしはなく、いつしか世
界中が彼女を嫌っているという幻想に囚われ、そのたびに幼い日の悲痛な
自分に戻っていきました。

自分にしか通用しないルールであることが理解でき、ことの全貌を客観視で
きた彼女はそのルールを手放すことにしました。
精神や感情や肉体の痕跡を全てヒーリングし解放したとき、魂にも精神にも
自由にエネルギーが流れ始め、病状にも大きな変化が見られるようになりま
した。



解除してきた数多くの思考パターンには、これとは反対に「私は人を愛さなけ
ればならない。」というものもありました。何故これを解除するのって思われる
かもしれませんが。このルールもまた厳しい所にその人を追い込むものだっ
たのです。

どんな人も平等に愛そうとしたため、彼女を泥沼に追い込んだり傷つけるよう
な人にもノーとは言わず、大きな傷を負っているのにまだ自分の愛は十分で
はないと自分を責め続けていました。
相手が満たされていないのは自分の愛が足りないからだと、人の感情を満た
すために神経をすり減らすことにもなっていました。
このルールもまたとても幼い頃に作られていて、未完成のルールが潜在化し
たままいつしか呪縛となっていたものでした。



無数の解釈が成り立つ「愛する」という言葉は、人によって全て異なる意味を
持ちます。
愛されなければならないという言葉も、愛さなければならないという言葉もそれ
がルールとなったとき、人を愛の流れから遠ざけていくような気がします。

上記のようなケースは決して珍しいものではありません。
付き合ったら結婚すべき、夫婦になったらこうすべき、親はこうで、子供はこう
職場ではこうで、部下はこう、生徒はこう、生活のあらゆることは、こうしたル
ールや信念を背景にして選択がなされていきます。社会の秩序を維持するた
めに必要なことも多いのですが、
それらはまた一方で戦争、犯罪、不和、断絶などの悲しみのあらゆる背景に
もなり得るものです。


愛さなくてもいい自由を持って初めて愛する自由が生まれます。
初めから一つの道しかないとすれば、それは自由とは呼べません。
親に自分を愛さなくてもよいという自由を与えて初めて、子供は自立を学び
親を許すことが出来たりします。人に自分を愛さなくても感心を寄せなくても
よいという自由を与えられて初めて、互いの間に風が吹き始めます。
そうなったとき、互いの間に感じるもの残ったもの実際にあるもの、それがど
れほど大切なものかに気づかされます。
                         
愛という言葉では到底説明の出来ないエネルギーは、その純粋さを保つため
に信じてきたことが本当に役立っているかを、時々見直す必要があると思いま
す。
                                      葉香

          





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