望み

                              2015.11.5


人はいつも何等かの望みを持っているものだと思います。
或る時、私はその望みを叶えるために必死になって、出来る限りの
ことをしました。
どのようなことをしてもそれを手に入れることは難しく、苦しみが増し
ました。様々なことを考え、一つ一つ手放す作業が続きました。
そして自分が欲していることに価値を見出していないことがわかった
時、やっとその苦しみから自由になれたのです。
あれほど欲していたことなのに、もっと奥ではそれを否定していたな
んて。



サバイバルプログラムを解除するヒーリングメソッドがあるのですが、
そのヒーリングをしているときにそのことに気づき、心から驚きました。
自分が絶対に実現したいと思っているはずなのに、そうしたいと思う
心そのものに価値を見いだせず、さらには願いそのものの実現を妨
げるプロセスがパターンとして存在します。
そんなプログラムが出来たことすら忘れるほど昔に出来ていました。



そして長い人生の間、無意識にその連鎖を繰り返すことになります。
しかしそんなプログラムを解放出来るなんて、と同時に喜びがありま
した。
忘れ果てた危険なプログラムを手放せることに、深く感謝しました。



そのヒーリングの中で、遠い日の記憶が甦ってきました。
心からの欲求がことごとく妨げられていく中で、絶望感や敗北感を味わ
ううちにだんだん無気力になって、人生の生き生きとした感覚から離れ
ていった日々の苦しみを思い出しました。
こうした日常が引き起こす最も悲しいことは、自分を愛することをやめて
しまうことです。



自分の欲求には価値がないと考えるようになり、人からの指示や要求さ
れることに応えるために命を費やすようになります。
自分の本当の声から遠ざかっていき、人の声に従おうとして自己を無視
するようになります。
そのことに慣れていくと、特定の他人を自分の支配者にしてしまうのです。




私たちは、考える力も選択する力もどう生きていくのかを知る力もみんな
持っているのに、それらをすっかり忘れてしまいます。
周囲には命令する人々が取り巻き、恐怖におびえながら次は何を犠牲
にしていくのだろうと思い始めます。
それは耐え難い苦悩を生み、世界から引きこもるしかなくなってしまいま
す。そして世界への関心を失うのです。



今、この世界は無関心という病が広がっています。それは一人の人の
葛藤や苦悩だけでなく、無数の世界中の人々の心の中に存在するか
らだろうと思います。



欲求については、「欲」とか「我欲」とは少し違ったニュアンスです。
欲求そのもの、それは止められない生命エネルギーのようなものです。
このエネルギーに触れたとき、望むものが何なのかを知ることができま
す。命が望んでいるものを知ったとき、初めて望みを実現することへの
一歩が始まります。



そして幸せなことに、私たちはどんなに長くそこから離れていてもまた再び
そこに帰ることが可能なのです。
おとぎ話に夢中になる小さな子供の目に映る虹のような希望は、死に絶え
てはいないのです。それはこの命そのものの中にずっとあり続けていて、
じっと待っていてくれます。
もう一度夢見ながら歩いていけるように。


                                    葉香



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