
2015.10.6
虫たちの声が涼しい風に乗って心地よく響くようになりましたね。
お元気でお過ごしでしたか?
先日、持っていないとか無いとかなくしたとかいうことは、
けっして無いことを意味するものではないのだと
気づかされたことがありました。
とても恵まれていたことだったのだと。
ある人は
恵まれているばかりに親離れできず、
不自由さを感じながらも、そこから脱することが困難な状況が
続いていました。何か大きな変化が起きない限り、そこを脱出
するのは難しい感じでした。 ふと、恵まれていることは、
考えようによっては不都合なこともあるのだと思いました。
反対に無いということは不自由でつらいことです。
そして無いことを嘆き悲しみ恨み絶望していたら、
無いことは苦しみでしかありません。
しかしその経験をすることでしかわからないことがたくさんあります。
健康が無い・お金が無い・彼がいない・結婚してない・愛がない・・
よく考えてみたら無いものだらけ・・・・。
何故それが無いのか?
どうやってそれを手に出来るのか?
どうして人は自分にそれをもたらしてくれないのか?
どう生きればそれが得られるのか?
そのために何をすればいいのか?
どんな考えをしているからなのか?
どう行動すればよいのか?
何を学べば良いのか?
自分の心はどんな思いが詰まっているのか?
人にどう接しているのか?
人は私にどのように接しているのか?
自分が陥りやすい状況はどんなことか?
それはどう考えているからなのか?
・・・・・・など。
得るために考えつく限りのことを考え
行動をして、それでもうまく行かないときに
さらに自分を観る。
自分を観るということは客観的に突き放してみないと
わからないものです。
厳しい目で他人を観るようにして初めて見えるものが
あります。
そんなことの繰り返しの日々が
いつの間にか
自分を強くしてくれています。
無いことは決して不幸なことではありません。
でも無いことに絶望し悲しみ、傷ついたままそこでいることは
とってももったいないことです。
そこにはたくさんの宝が隠されています。
その宝を掘り起こし力とし、知恵とし、豊かさや愛情や成功
そして健康を得る糧として生きてゆけたら
本当に素晴らしい人生が
開かれていくと思います。
自分のおかれた状況は、全てがあるべくして
そこにあるので、そこにいる必要があり、
またそこで、自分にだけ与えられた宝を
見つけなければなりません。
そして出来ると考え、小さな一歩を踏み出すことだと
思います。
その一歩は小さいけれど、準備がなされた時
必ずそれは実を結ぶものです。
葉香
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