祈り
2011.9.1
九月を迎えました。
暑い日々も峠を越えて、朝夕は少し涼しくなりましたね。
今年後半は、どうか穏やかで安らぎと平安に満ちて暮らせますように。
このところ、祈りについてのご質問を頂くことが多かったので、それについて少し
お伝えしたいと思います。
皆様の中にも、今年はいろいろと祈りを持たれた方も多いことでしょう。
私たち個人のためもあれば、このたびのような震災に合われた人々への祈り、家
族の安全や国の平安のためへの祈りなど・・・。
私はときどき、自分のヒーリングテクニックが人々を癒しているのではないんじゃないか
と感じることがあります。
私の学んできた癒しの技術は手前味噌ですが、本当に素晴らしいものです。
でも、真に癒しているのはヒーリングを通して伝わる何か別のもののようなものです。
それは言葉や技術を超えたものですが、確かに存在する信じるにたるものです。
祈りはそれと似ていて、祈るときにはまだその結果を得ているわけではありません。
証明されてもいないのですが、夢中で祈ります。おそらく神の力というものに向かっ
て流れる特別な想いによって。
日頃信仰を持たなくても、そこには信じるにたる何かがあることを私たち人間はみ
んな知っているからではないかと思います。神を信じていようといまいと、心の奥
深くで祈りを聴いているものについて、知っているからではないかと思うのです。
この人生は、苦しみの日々を経験しなければならないことが多々あります。その人
にとって、それが経験だからです。どうしてこんなに苦しいのかと嘆いても嘆いても
起こってきたことについては、どうすることもできません。
でも、これから先のことをどうするかについて考えるとき、嘆きは必要ありません。
幸せになるように。天命がまっとうできるように。平和で安心して暮らせるようにと、
どんな時もそう思って心を立て直すようにしなければなりません。
特に自分や人への否定的な考えや感情にとらわれているときこそ、こうした祈りが
必要です。否定的なエネルギーは私たちの生活を非常に悪化させます。その上、なか
なか自力で浮き上がることが困難になります。だからこそ、大いなる力を頼む必要
があるのです。
真剣な祈りは叶えられます。それがハートからあふれていったものなら、どんな小さ
なものであっても純粋なエネルギーが実を結びます。
私は生まれてから今日まで知っているだけで三回、死に直面しました。
何故こうして無事に生きていられるのかには、わけがあるのです。死にそうな私の
ことをかわいそうに想って、救ってくださった方がいるのです。
私を救ってくれた存在は目に見えるわけではないのですが、確かに存在している
守護の神霊のおかげなんです。
その愛に触れたとき、感謝を感じずにはいられませんでした。
私は宗教を持っているわけではないのですが、一つ一つ全てが経験によってわかっ
たことばかりです。
スピリチャルブームで、神様のことや守護霊様の存在について話される機会が多くなりま
した。存在を実際に感じていらっしゃる方もおありかと想います。頭でその存在を理解
するのではなく、実際に自分の経験として知ることが出来たら、私たちの心にはもっと
多くの安心がやってこれると思います。
昼も夜もいつもいつも、愛する我が子のように見守っていてくださる存在があります。
たくさんの否定的な感情やたくさんのとらわれから、私たちの心は静かになることが
難しくなっています。心が清まり静まったら、その存在をイメージして安心して抱かれて
みてください。見ることも聴くことも触れることもできませんが、きっとあなたの心に何
かが感じとれるはずです。
どうぞ、秋の夜長を静かに安心してお過ごしくださいますように。
葉 香