選択する力

                              2012.7.5

朝起きてから夜寝るまで、選択している数ってどのくらいだろうと考えることがあります。
日常の些細なことから人との関係や人生の進路に至るまで。
何年もの交際を経た二人が未来をどう決断するのか。どの病院にかかるのか。どこで暮らすのか。誰に学ぶのかどこへ行くのか。治療を続けるのか止めるのか。有無を言わさぬ生死の境における選択。学生たちの進路選び。子供の教育について。夫や家族との日々の選択。選択がスムーズになされることもあれば、とっても困難な時もあります。

それら全てを私たちは自分で選んでいると思っています。
しかし、物事を決定する際に全て自分で選んでいるようで、そうではないこともあります。
選択に際して、ときどき計り知れない混乱を目にしたり体験することがあります。
それは選択する以前の心の内部で起きる深い葛藤と言えるものですが、問題を引き起こす原因の多くが、この葛藤に気づかないまま決定がなされることにあります。
一つは、自分の中に相反する二つの考えが同時に同じ力で作用する場合です。
これは何が起きているのか本人が気づかないことなので、それがどれ程の苦しみを生んでいるかわからないまま時が過ぎて行きます。

原因の多くは、生活環境の中で聞いてきた言葉やそれにまつわる感情による積み重ねがあります。大切な人であればあるほど、良きにつけ悪しきにつけその人の言葉やその人の反応は自分の中で大きな力を持つようになります。
子供にとって、お母さんやお父さんの言葉ほど大きな影響を及ぼすものは他にありません。家族の全員が積極的に互いを尊重しあって、自分の気持ちを率直に表現できる環境だと、選択するときも個人が尊重され理解を得られる可能性は高まります。
でもそうではないとき・・・・。
やりたいこととやってはいけないという考えとが、同時に同じ力で起きてくると想像してみてください。好きな気持ちと愛してはならないという気持ちが同時に起きる、右に行きたい気持ちと左に行かねばという気持ちが同時に起きる。行きたい気持ちと行ってはならないという気持ちが同時に起きる。欲しい気持ちと欲しがってはならないという気持ちが同時に起きる。 こうした深い葛藤は、人生の選択にどのような影響を与えるでしょう。

果てしない綱引きが心の中で繰り返されることによって、決定するための力はどんどん削がれていきます。その場合、結局決定しないという選択をします。その後起きることは、自分に強く作用する第三者の決定に従ったり、周りが変わっていくのをじっと待つことにしたり、自分に代わって他者に決めてもらったりします。人の決めたことに従い選択した場合、決めた人のことを攻めたり恨んだりすることになります。そして長いときが過ぎてゆくのですが、時間が過ぎても決定することは出来ません。また決定したとしても、その結果を悔やむことになるのです。そして環境や人に支配された生活形態を生むことになっていきます。
こうした苦しみは、支配的、批判的、否定的、攻撃的な言葉などの影響や聞き続けたことで潜在化した場合や続く暴力の中で生まれることが多いです。また依存的で密着度が強い親子関係や人間関係などからも生じます。それらはまるでクモの糸のように生活のいろんな場面で見えない力となって、個人の選択に作用します。

自分の心の中をよく覗いてみても、何が起きているのか分からないかもしれません。潜在化した他者が自分の人生の選択をしている場合などは、特に分かりません。この場合は心の病やPTSDと関連することもありますが、いずれも心理療法やヒーリングは大変役立つと思います。
欲しいものを明確にしそれを手に入れる。行きたい方向が定まって初めてそこに向かう一歩が始まります。自分の気持ちを大切にしていいと思えたら、好きな気持ちを理解してもらえると信じられたら、どれを選ぶかもっと安心して決められます。
自分自身の中心となるものが見出せたら、迷うことに費やす果てしない時を削減し、創造的な人生を歩むことが出来ます。
また、自分自身の下した決定に対しては迷いが少なくなるので、結果に対する責任の取り方にも違いが生じてくるのです。


昔から迷いをどう乗越えるのかは人間の大きなテーマであり、迷いの中からそれぞれの道を見出し選択していかなければなりません。その選択をする上で、もっとも大切なことは自分自身を知ることだと思います。通常目で見える世界に起きていることは絶対に間違いの無い事実だと信じて、私たちは自分や世界を見ます。でも偏ったメガネをかけて自分や人を見ていることが多いのです。選択はその人がどれほど自分や人を理解しているかに、大きくかかわる行為です。私たちは過去の選択を悔やんだり、うまく行かなかった選択を責めたりします。でも私は、過去のどの時を振り返ってみても、その時に出来る唯一の選択がそれだったと教えられます。そして、その選択したことがどれ程つらい現実をもたらしたことだとしても、その時それ以外の選択は出来なかっただろうと思います。何故なら、その時の私は今の結果を知らなかったし、今の私が理解していることを理解していなかったからです。

幸いなことに、明日に向けて新しい選択をするチャンスが今日与えられています。自分や人や世界を見つめながら、美しく喜びに溢れ幸せな未来の扉を開くために。


だんだん夏の陽射しになってきました。
皆様もどうぞお身体ご自愛くださいませ。
                                    葉香

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