夢
2013.1.3
あけましておめでとうございます。
平成25年の新春を皆様とともにお祝いが出来ることを、感謝申し上げます。
このコラムをご覧くださる皆様、大変心強く励みと感じております。
私がお伝えできることは、日々の経験や重ねてきた年月の中で知ったことがほとんどですが、今年も出来る限り続けてまいりたいと思います。
コラムを書くにあたり、いつも戸惑うことがあります。
個人的な経験が、果たして皆様に役立っているのだろうかという疑問がいつも頭をよぎります。
また、未熟な私の経験をこのようにお伝えすることにどんな意味があるのだろうかと。
こうして書いている今もそう思います。
それを続けさせてくれる力は、このコラムを読んだという皆様のお言葉によってです。
それは人生ととてもよく似ているような気がします。誰かの目に映った私の姿を見て、私は自分が生きたことを知ることが出来るからです。
昨年の大晦日の日、私は一年をしめくくれるように自分へのヒーリングをしました。
というのも前日に見た夢が、私に大切な何かを思いださせようとしているように思えたからです。夢は次のようなものでした。
私の部屋には映らなくなった2・3台のテレビが置かれていたのですが、その中に映りは悪いのですが、1台のテレビがずっと放映されていました。
これらのテレビは私が持ち込んだものではなく、誰かの物だと感じていました。私の買ったテレビは、誰かが持っていってしまったようです。
朝目が覚めて即座に思ったことは、誰かのテレビじゃなく私は私のテレビが見たい!
この夢がいったい何を意味するのかが知りたくて、自己への扉を開いてみました。
キーワードが出てきました。
選択の自由・自分との一体感・自己への価値観・自己への信頼・命の尊厳について。
このキーワードに触れたとたん、それこそが無くしてしまった私のテレビが放映していたものだったことを思い出しました。それが持ち出された後、そのテレビをずっと見ていないことも。代わりに人や世間や何か自己以外のものを、ずっとずっと私の人生で私のものとして放映し続けていることが感じられてきました。
扉を開いてみて、それがDNAに書き込まれた世代を超えたプログラムであることがわかりました。
私の先祖からの意識でもあり、私の過去世からの意識でもありました。
地上という三次元の世界では、食し住み着ていなければなりません。生きるための過酷な状況が全ての命の前に繰り広げられ、生涯にわたってそれらが試練となります。
その中で、私たちは生命本来の喜びを失うような状況を経て生きてゆきます。
中でも失うことでもっともつらいことが、私には上記のキーワードが示していたものです。
転生や今生の経験の中で、選択の自由や自己への信頼、命の価値と尊厳の多くを失っています。魂や精神から失われたことが、私のDNAに書き込まれていたのです。
そして、身体のエネルギーシステムと多次元にわたるエネルギーフィールドにその全ての情報が書き込まれており、日常をそのプログラム通りに生きていたのです。
私に出来ることは、命を取り戻すためのプロセスへと自分を修復することでした。
免疫システム・ホルモンシステム・顎関節・頚椎・脊椎・脳・経絡などに及ぶ修復をし、さらには新しいメッセージをDNAに書き込むことが必要でした。
もちろんこの日出来たことは、命という途方もない未知なるもののほんの一部分だと思いますが。
生きている経験を安心して経験したいと、心から願っています。
そして、この命を恐れずに喜んで生きてゆきたいと願っています。そう思いながら、一つづつ一つづつ道を歩んできました。
そして元日の朝を迎えました。なんと初夢を見たのですよ。
友人がとても広い土地を大家さんからタダで譲り受けたと言うのです。
「じゃぁ、私もその土地に住んでいいの?」と聞くと、
友人が 「うん」 と深くうなづいてくれました。
元日の朝は、静かなそしてとっても穏やかな気持ちがしました。
この世界で生きることが出来る場所が与えられたような、そんな安心感だったと思います。
平成24年から平成25年にまたがる私の夢は、長く生きてきた私への贈り物だったような気がします。
葉香
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