豊かさと貧しさ

                                        2013.2.3



どのくらいお金があったら安心して幸せでいられるだろうかと考えます。
もしも宝くじにあたって3億円があったら何を買おうか・・・。
まず家を買って住む場所を確保しリッチな生活を夢見たりしながらも、それは自分の人生には縁のないことと、初めから諦めの境地でいることが多いのではないかと思います。   
しかし誰もがその額の多少はさておき、できるだけ豊かでありたいあるいは巨万の富を持ちたいと望んだりします。しかし、ここにもはてな?マークがあります。


私は少しだけお金持ちの家に生まれたと思います。
でも、幼少期はたいへん貧しい生活をすごしました。家族の心には欠乏感が蔓延しており、病と貧乏への恐れと老いることへの不安と恐怖が満ちていたのです。
お金はただ貯蓄のためだけに積み上げられ、私たち家族の楽しみや遊びや趣味のために有意義に使われたことはほとんどありませんでした。もっとも当時の日本の家庭の多くは豊かさとはかけ離れていましたが。
遊び・楽しみ・趣味・喜びは悪となり、それを持つことは大きな罪悪感を生みました。
父や祖父母の死に際して、生涯の終わりというときに大きな悲しみを経験しました。


家族がとっても恐れていたことは、全てやってきました。
病や老いがやってきたとき、蓄えがあったので家族は病院にかかることはできました。
でも短い病院生活や最後の時を迎えるために、人生の喜びの多くを奪ってしまった心の中の罪悪感からは逃れられないまま、その人生を終えてしまいました。


私は悲しみの中から、家族の本当の病はなんだったのだろうとそのたびに考えました。
一人一人の家族の姿を見ていて、共通しているものは安心と喜びと愛情の欠乏でした。
病のときでさえ働くことに目が向けられ、ゆっくりと休んで滋養を与えることは怠けることになり、子供たちは遊びに代わり大人を手伝うことが優先されます。笑顔をなくした家族の目に見える世界は、病と貧乏と老いることにしっかりと向けられたままだったのです。
私の心に蓄積されたこの世界観は、人生の局面においてあらゆる制限として道の途上に立ちふさがっていました。


弱くなった体に労わりが向けられないことや滋養を与えあわなかった家族は、共に暮らしながらも恐れを無くすことは出来ませんでした。いくら働いてお金を貯めても、さらなる恐怖と不安が押し寄せてくるからです。なんともはや・・・と言わざるを得ません。そのために全てを投げ打って働いているのに!
そしてとうとう私は家族の本当の病に行き着いたのです。
このような家族が生き延びるためには強靭な身体とお金、誰にも奪われないことを最優先にした生活パターンしか選択肢はありません。
弱さは排除され不安や恐れの感情は拒絶され、心の中を恐怖と恨みがしめるようになるのです。
家族の誰もが欠乏を信じていたことこそが、私の家族の本当の病だったのです。


思考は大変強いエネルギーです。
世界をどう考えているかによって、起きてくる物事や現実に対する反応の仕方に影響があります。またそれによって感情が動きます。
もし、家族が愛と喜びと豊かさを信じていたらどんな世界が出来ただろうと思います。
そばにいる人に安心させてもらえたら、伏せているときに大丈夫なんだと慰めてもらえたら、楽しみが許されていたら、どれほど人生に希望が持てただろう。
もし心の寂しさや恐怖に気づきあうことが出来たら、家族の心に何が生まれただろう。



お父ちゃんは、ずっとずっと働いていました。でも心は物凄く大きな欠乏を抱えたまま、それを埋めることはありませんでした。そしてそれは誰も埋められないことだったのです。
家族の誰もが、どうすればいいのか知らなかったから。
まず自分自身を変えることなしに、決して埋めることの出来ない穴なのですから。
私は自分の中に住んでいる家族の心を、これからもずっと満たしていきたいです。
生きていくために本当に大切なことが欠乏感なのか、それとも愛と豊かさなのか。
何を信じたら家族がもっと幸せになれるのかを、しっかりと知らなければなりません。
私が死んだとき、お父ちゃんたちにその後を報告しようと思います。
きっと私偉そうにこう言うと想うのです。
やっぱりなお父ちゃん、死ぬときまで幸せで喜びに満ちて生きることが大切なんよ。

                                          葉香

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