母の日
2013.5.8.
母の日ってどうして始まったの?と思ってる矢先に我が家に、ある会社の通信が届きそこに案内がされていました。
母の日の起源はアメリカからと考えられているようです。
1907年5月12日、アメリカのヴァージニア州に住む「アンナ・ジャービス」という女性が、亡き母を偲び母を敬う機会を設けようと働きかけたことに由来しています。女性のお母さんは日曜学校の先生をしていたので、その教会で記念会をもち、お母さんの好きだった白いカーネーションを祭壇に飾って追悼したところ、そのことに感動した人々が翌年の1908年5月10日に同教会に集まり、最初の「母の日」を祝ったのだそうです。この風習がアメリカの他の州にも広がって、国民の祝日になったということです。
日本の母の日は、明治末期から教会で祝われ始めだんだん広がっていき、1937年に森永製菓が「森永母の日大会」を開催したことで、全国的に広まったのだそうです。
またカーネーションは、十字架に架けられたキリストに、聖母マリアが涙した後に咲いた花だと言われ、赤色はキリストの体から散った血の色とも言われています。
私にとって母のことを表現しようとしたら、いったい何冊の本が書けるだろうと思います。
母から生まれ私も母となり、良きにつけ悪しきにつけ人生でこれ程多くのことを学ぶ存在は、いないような気がします。その学びは、自由と無条件の愛と神への憧れと今の仕事に至るプロセスでした。多大な束縛と与えられた苦しみは、言葉に出来るようなものではありませんでした。
しかし数々の経験を一つ一つ、真理に照らし合わせることが出来るようになったときに、ようやく苦しみはただ私を打ちのめすだけではなくなりました。今の私は父と母の存在なしに有り得ないという事実を思うとき、幸せを実感すればするほどそしてこの人生の贈り物を知れば知るほど、与えられたご縁の意味を知ることになりました。
母が教えてくれたことの真の意味を理解するときは、まだ先のような気もしますが、アンナさんのような心で感謝を捧げる日に想いをめぐらせています。
また息子の母としての側面を思うとき。
私が母を想うように、息子に与えた愛と苦しみを振り返ります。
成人した息子が、人間関係や自己表現で悩んでいるときに、自分のした過去の過ちを激しく悔いてしまいます。そんなとき私の仕事は活躍できます。皆様ご存知のあのヒーリングベッドに、白熊のように大きな体をした息子を寝かせておもむろにヒーリングをします。オーラやボディや精神に残った私が与えた痕跡を癒すときに、「本当にごめんね。」という気持ちになり、鼻水をたらしながらヒーリングします。
最近息子にも子供が生まれて、なかなかそんな機会も少なくなりました。父として我が子を慈しむという責任を持ち、いつか息子も我が子の成長した姿に大きな喜びを感じる日が来るのでしょうか。
ありがたいことに、私はこの仕事を通して人々とのつながりを頂いております。
血のつながりはないのですが、息子や娘のように人々のことを感じたり、家族のように思います。
この14年間に築いた人々とのつながりは、どなたもかけがいのないもう一つの家族なのです。
仕事柄、私から皆様にヒーリング以外のことでご連絡することはあまりありませんが、
とっても大切に思っています。
皆様とお母さんとの関係はどのような糸が結ばれているのでしょうか。
全ての関係は特別なものです。あなたがそうであるように。
葉香
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