生きてて・・・。
2013.9.9
生きててよかったと思う時って、皆様はどんな時ですか?
試験で百点取れたとき、昇進を果たしたとき、上司に日頃の屈辱を倍返しし
たときの半沢さん、結婚できたとき、息子が素晴らしい人間になって世界中
から褒め称えられたとき、数々の賞をもらったとき、国家の責任ある立場に
ついたとき、愛する人に愛されてると思ったとき、人に認められたとき、人の
役にたてたとき、人に喜んでもらえたとき、命がたすかったとき・・・・。数限り
なくあると思いますが、ああ生きててよかったと感じる時に私たちは何を思う
のでしょうか?
長い休暇のおかげで、私がその喜びを感じられたときはとってもシンプルでした。
夏休みの最後の日、緊急で少年のヒーリングをしたときです。少年はその時、
脳内物質やエネルギーの状態は桁外れの苦悩を示していました。
それを一つ一つ癒している最中に、私はこの瞬間まで生きてこれてほんとに
よかったと思いました。
私の仕事での意味は?と夏休みの間、心に問い続けてきた質問の答えが、
そのときに見つかった気がしました。
私の人生で経験した苦しみは喜びの何千倍、哀しみはもっと深く、痛みはさ
らに数多くありました。そんな中にいる最中は生きていることは耐え難いもの
があります。
その少年の苦しみがかつての私の苦しみを思い出させます。でも今、私は彼
をその場所に留めたままにしておかなくてもすむ。一人そこに置き去りにしな
いでもすむということが、生きててよかったという気持ちにさせてくれたのでし
た。
そういえば、これまで十数年費やしてこれたのは、そんなシンプルな感情に支
えられてきたからです。
その喜びはほんの束の間のものですが、その他の全ての時間がその一瞬
の喜びによって報われる気がしました。
私を訪ねてくださる方々の中には、重い病の方、様々な悩みをお持ちの方も
いらっしゃいます。そこには死や喪失や変化への激しい恐怖と絶望や不安
がつきまといます。
どんなに助けたくても何の力にもなれないと感じることがあります。
人間が本当に救われる道とは何だろうと捜し求めながら、実際に目の前に
いる人々の激しい恐怖に触れてみると歯がたたないこともあります。そんな
とき、私は自分に向き合うしかありません。重い病にかかったときの恐怖を
真に乗り越えることが出来なかったら、人々の病に対してどう向き合えばよい
か理解することは難しいことだと思われます。
でも私たちがそのような恐怖や絶望の中にいるときですら、ずっと変わらずに
永遠に在り続ける命の源に立ち返ることができたら、その源を拠り所に据え
られたら、その恐れを越えて生きてゆけるにちがいありません。
私たちが互いに存在している意味は、私が生きててよかったと思える瞬間を
少年の存在が感じさせてくれたように、決してよい状況によってのみ起きるわ
けではありません。何故ならあまりにも深い苦悩がそこにはあったからです。
私たちが互いに存在している意味とは何でしょう?
それは人間がそこにいるだけで、目の前のその人に何かが出来るだけで生
きる希望の光が見つかるからではないかと思います。人がそのままで尊いか
らこそ、そんなことが感じられるように創られたのではないでしょうか。
この二・三日朝晩、高原のように爽やかな風がそよぐようになり生き返るよう
な気分です。
長い休暇中、すぐに対応できずお待たせしたのに、ご理解いただきほんとう
にありがとうございました。
また元気で仕事に戻りますので、よろしくお願い申し上げます。
今年、秋の季節が運んでくれるものは、どのようなものでしょう。
皆様の秋がやすらいでいますように。
葉香
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