感情

                        2013.11.11

11月の声を聞くと急にあわただしくなりますね。
ひと月ぶりのお便りを書こうとしたのですが、なかなかテーマが決まらず今日は
とにかく何も考えず書き始めました。


このひと月で、大変印象深いことの中に「感情」についての事柄がありました。
私たちは様々な感情を感じ取っていると思っています。そして自分の感じている
ことは人も同じように感じていることだと、当たり前のように信じ込んでいることが
あります。


私がつらいと感じてることするなんて、それってあなた私へのいやがらせっ?
私がこんな気持ちでいるのに、どうして何の連絡もしてくれないの?私のことが
嫌いになってしまったの?私があなたに何かいけないことでもしたからなの?
どうしてそんなに怒ってるの?私何か言った?もう待って待って待ちくたびれた、
私は愛されてない・・。こんなとき私なら必ずこうする、なのにどうしてあなたは
そうしないの?。私はそれが嫌なの、だから嫌なことをあなたはしてはいけない。



劣等感を感じてるとき、誰かが美人の話や偉人の話をするだけで非難されてる
ような気になって落ち込む。困ったことが起きるとあらゆる不安や恐怖が湧き
上がる。でも、ほんとのところいったい何を感じ取っているのでしょう。
それは誰の感情なのでしょう。

私たちが感じられている世界はとっても限られていて、或る程度の理解は出来
るのですが、お互いの感情の機微をどれ程感じ取っているかについては、大変
疑わしいものなのです。さらには自分の心の奥にあるほんとの感情に、多くの
人々は気づいていません。


まして自分の生命の問題を抱えているときや、窮地に立たされているとき、立
場が弱いとき、その人といると自分がつらくなるときなどほとんど相手に気持ち
を向ける余裕はありません。私たちはそうした様々な状況の中で、あらゆる感
情の波打つ海を泳いで生きています。そしてこの目に見えるのは、表面の波
の形だけ。海の中は見えません。


そればかりではありません。
あまりに大きくて抱えきれないショックやそれがトラウマとなるような出来事を
経験した人の場合には、感じ取ること事態を閉ざしてしまったりします。そして、
そのつらい出来事の中で唯一感じてもいい部分だけを残して生きのびようとし
ます。

中には、悲しみと絶望と分離感と無関心の感情だけを残し、生きる希望や情熱、
信頼や調和そして喜びや満足、受容や感謝、自信や評価されることなどに対す
る感受性を全く持たなくなってしまうこともあるのです。何故ならそれこそが、そ
の時の彼に見えた世界そのものだったからです。彼の目に映る世界はどのよう
に見えると思いますか?それを考えると胸が痛みます。
でも、だいじょうぶ!私はそのためにここにいますから。



多かれ少なかれ、私たちの見ている世界観にはそれぞれの限界があるという
ことを踏まえた上で人々との関係を築いていかなければなりません。
全ての人は、自分という座標軸の上で人や世界を判断し選択しているということ
を念頭に置き、相手が今どういう気持ちや状況にいるのかをどれ程知っている
か見極めることが大切だと思います。



感情は、神が与えた贈り物です。
あらゆる感情を通して、この世界を幸せに生きていかれるように。
感情の種類に良い悪いはありませんが、その感情を通してどんな選択をしどう
生きると幸せに至るかを、自分なりに考えるために与えられた大事な大事な道
具なのだと思います。

                                       葉香

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