嵐の朝に



                                    2014.10.6

台風18号が吹き荒れる中、この便りを書いています。
このところ土砂災害や御嶽山の噴火など自然の災害が続いています。
日本の自然は四季の移ろいを美しく演出してくれますが、自然の猛威とともに
生活しているのも確かなことですね。
大好きな温泉は火山列島のおかげでもあるのですから。


それは人間にも言えることだと思います。
何事もなく過ぎていく日々の中では優しさが表しやすいのですが、
一たび何かことがあれば、あっという間に豹変して反撃に出たり凄まじい形相
になって、なかなか元に戻らなかったりということがあります。
自然の猛威も人間の暴走も、そのことに遭遇したとき心弱く不安にかられたり
して、自分が日頃いかに時を安易に過ごしてきたのかを思い知らされることに
なったりします。


このような嵐の中でもまた人との関係で起きる嵐の中でも、何とか明るい気持
ちで、力強くいられたらいいなと願うのです。
今朝、窓の外の激しい雨音の中、いつもそばに置いてある本のページを開い
たら、そのページに次のような言葉が書かれてありました。



「忠言は己を磨く砥石」
そしてこのような言葉が添えられていました。
耳にはいつも痛いような忠言を聞き、心にはいつも思うままにならない事がある
場合には、それこそ、修養を積み徳行を磨く砥石となって身のためになる。これ
に反して、他人のいう言葉が悉く己の耳には悦ばしく聞こえ、他人のなす事が総
て己の心には満足に思うようであれば、修養の機会もなく、この尊い一生を猛毒
の中に投げ込んでしまうようなもので、実に痛ましくてためにはならない。



なんだか嵐の中にいる私のために説かれた言葉じゃない!って思いました。
私たちが生きている今という時代、おそらく一人一人の魂がかつてない程自分に
気づこうとしているし、知る必要性に迫られていると思います。
かつてない程と申しますのは、一人の人に与えられる自由も情報も過去の歴史上
最も大きいと感じるからです。私のような者にも、読もうと思えばどんな本でも読む
チャンスがあり、行こうと思えばどこへでも行ける道が開かれているからです。
そんなにも開かれている大いなる前途の、どこに向かって歩いていこうとしている
のでしょう。今は人がその答えを自分に問うとき、そんな気がします。


戦争が終わって後、それまで日本人の心に受け継がれてきた国を想う心や尊い
道徳や道に則った教えなどが大きく変化してきました。
たくさんの自由がある中、それぞれの道を極めるためには、一人一人が霊的に
大きな進化を遂げなければならないようになっています。



道を歩くとき次の一歩をどちらに向けて踏み出すのかがわからないとき、大きな
光でなくても、足元を照らしてくれる小さな光があればその一歩が歩めます。
そのセンサーは信号機のように、心の声としていつも私たちに教えてくれていま
す。

だけどそのセンサーは心が安らいでいるとき、気分が平穏で落ち着いているとき
に、そして私たちが聞きたいと望む時にではなく本当に必要なときに点滅して教
えてくれているのがわかるものです。
無限の知性が、自分の考えや行為を通して導いているのだと信じるのであれば、
人生の正しい方向に導かれていきます。


でも道がわからないから苦しんだり不安になっているのに、落ち着いていなけれ
ば心の声は聴こえてこないというのがどうにも辛いところです。
不安や恐怖や激しい感情にとらわれているうちは、決して本当の声を聞き取るこ
とは出来ないものです。
感情の嵐に揉まれながら、同時に道を知ることは出来ません。


ここまで書き進んだのですが・・。


今、外はやっと嵐が通り過ぎたようで空には青空が広がり初め、光が窓いっぱい
にさし込んできました。光はなんとうれしいものでしょう。
この光の中で、一歩づつどう歩めばよいのかを毎日聞き続けることが、道を知る
ことにつながります。
嵐がやってきたらそれが通り過ぎていくのを待ち、光の中に道を見つける。



人の忠言も窓の外を吹き荒れる嵐も、私たちの道を開く大きな手がかり。
そこから自分の道を切り開いていくことが出来るように、強くなりたいものだと思う
朝でした。
                                 葉香



    
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