秋の日に
2014.11.13
今月もどのようなことを書けばよいのか、なかなか思いつかないまま
日がたつうちに、孤独死を心配したクライアントさんから連絡を頂き、
これではいけないと、やっと何をコラムに書くのか決めてパソコンに
向かいました。
今月のご相談では、欲についてのテーマが多かったので、その中の
ある欲についてお伝えしようと思います。
それは、愛されようとする欲です。
誰もが持つこの想いを欲とは言えないことだと、私自身それほど重
要だと考えたことがありませんでした。
この欲については、もちろん恋愛や人間関係における健全なものを
さしているわけではありません。
人間には基本的に認められたい、尊重されたい、愛されたいという
強い欲求があります。
しかし中には人生を歪めてしまうようなものもあります。
幼い頃に肉体的精神的な暴力を長く受けてきた人や、時に愛情の
欠如を経験することによって、ちょっと間違えれば誰もが陥る愛の
砂漠状態があります。
ここを満たそうとする欲求が、お伝えしたいものです。
ある人にとって、自分に落ち度があろうがなかろうが、周囲の大人
たちの感情のままに暴力を受けたり、無視されたりするので、子供
たちは命がけで愛されようとして、その技術を身にまといます。
その中には感情を抑圧することや
自我を殺すこと、彼らに見捨てられたら行くところがないという恐怖
に駆り立てられて生活します。
こうして身につけた技術は、精神も魂も肉体も蝕みながら、それが
生きるための最優先事項となります。
こうしたあり方を変えるためにサバイバルプログラムを解除する方
法や魂の統合、偏桃体の修正や様々な解放手段がありますが、
ヒーリングするうちに、プログラムを解放するだけでは、人がそこか
ら自由にはなれないことに気づきました。
愛されようとする欲求には、根底にこのままでは「愛され得ない」とい
う強い信念があり、岩のように固くなって聳えています。
しかし残念なことに、過酷な環境で身につけたこの信念は結果的に、
愛され得ないという状況をもたらします。
そして、聳えていた岩が今度は氷河のようになって固まっていきます。
耳を傾けると、氷の奥からかすかに叫ぶ声が聴こえてくるのです。
「私を愛して!」
ここから自由になるためには
愛されようという欲を手放さなければなりません。
そして、嫌われても構わないと思わなければなりません。
一人でも生きていけることを信じなければなりません。
失敗しても、出来なくてもそれでも自分らしく生きていこうとすること。
ここ以外にこの人以外に私を受け入れてくれるところなどないのだと
いうのは思い込みです。
勇気を出して、その場所を飛び立つことです。
そうするうちに、少しづつ氷が解けていきます。
さらに愛されようとして、いったいどれ程の言葉を飲み込んできたかを
思い出します。
飲み込んだ言葉や感情は、臓器や体に病変となって現れます。
怒りは肝臓や胆嚢や顎や腰に、悲しみは肺や腸に、絶望は心臓にそ
してあらゆる組織を破壊していくのです。
飲み込んだ言葉も感情も時がたって薄らぐことはありません。
それらは、毒となって心や精神を脅かしながら身体に留まるのです。
一つ一つ吐き出しながら、もうこれからは嫌われてもいいと言い聞かせ
るのです。そして伝えたかった言葉を飲み込んでしまわず、一言ノーと
言えばいい。失敗してもいい。愛されなくてもいい。
それよりも自分の本当の気持ちに正直に生きていこうとすることです。
人より優位に立とうとしなくていい。
競うことから離れて、自分に出来ることから始めればいい。
そうやって、少しづつ本当の自分になっていく。
そしたら、だんだん道が見えてくる。
それは生存するための道ではなく、自分のための道となって現れてくる
のです。
葉香
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