欲しいものを
2016.11.11
今年もあと二月足らずになりましたね。
お元気でお過ごしでしたか?
先日、読んでいた本のある文章に目が留まりました。
それは、「宇宙に向かってあなたが何を必要としているか知らせてください。
はっきりと何が欲しいか伝えてください。」という言葉でした。
最初はそのまま見過ごして、次の文章に進んだのですが、
何かが引っかかって、その言葉を今度は自分への個人的問いかけとして
振り返ってみることにしました。
それは私にとって、大切なメッセージであったと思います。
必要としているものを満たし、欲しいものを自分に与えるということは
日常レベルから精神や魂レベルにまでわたる普遍的なテーマとして
捉えることができます。
それは生きることと同じテーマのように思われました。
ひとたびこのことへの考察が始まると、次から次へと制限が目につき始め
それを一つづつ解放していくことは、とても楽しいプロセスになりました。
中でも、潜在意識内の生きていくことへの絶望感に触れたことは、とても
大きな解放をもたらしてくれたように思います。
絶望感は命の川の流れを堰き止め、精神や肉体の働きや成長を妨げる
ものです。無意識のうちに、こうした堰が残されていることがあります。
本当に欲しいものを改めて意識してみると、形のないものでした。
安心して暮らせることや平安に満たされていること、そして自分の人生に
歓びをもたらすことに尽きるものでした。
ところがこれらを自分に与える、また宇宙に知らせるとなると・・・。
何が?どのように?そんなの手に入らない!もうこんな年なのに、
あれもこれも欲しいに決まってるけど、そんなこと考えても無駄とか、
否定語が押し寄せてきます。
この世界では手に入ると心から信じているものが、やってきます。
いつか人は信じていることを経験します。
それはまるで鏡を見るような気がします。
愛についても。
制限を超えるワークの中で、最も困難なことは自分がどのような制限を
持っているのかに気づくことだと思います。
先程の押し寄せる否定言葉の中にも、私たちが持つ制限を見つけることが
できます。そして次に、気づいた制限を解放し、多次元に及ぶ壁や
ネガティブエネルギーに至るものまで手放していくことです。
そうした解放の先には、常に共通しているものがあります。
それは内なる神、そして内なる叡智へと導かれているのだということです。
制限というのは、内なる神から離れてしまうことを意味します。
そして制限を外していくことは、内なる神へと戻っていくことを意味します。
私の欲しいものは、自由や平安や魂の歓びでしたので、
それを自分に与えるということは、
心の中の内なる神へと返っていくことを意味していました。
宇宙に心からオーダーしたいものは、このようなことでした。
そして一日の中でほんの少しでも多く、それを体験できるようになる
ということ。
この三次元の世界では、肉体という制限を持って暮らしています。
誰もこの制限を無視することは出来ません。
生きているからこそ起きる様々な苦しみや老いていくことから
誰も逃れることは出来ません。
食べて寝てお風呂に入って、それらを可能とする背景を
必要とします。そして平安とともにあるために、心も体も精神も
全てを活用してなお且つ、少しでも制限から自由になるということだと
思います。
様々な理由から、生きていくことそのものが大変困難な時もあります。
でも同時に、私たちの中には神の力と叡智があります。
その力に少しづつ、みんなが近づいています。
それが、来てくださったたくさんの方々が私に示してくれたことです。
困難は、それぞれの道を見つけるためのもの。そして誰もがそこから
大切な何かを得て、一歩づつ魂の家に返っていく姿を示してくれました。
だから私たちは大丈夫なのだと思っています。
葉香
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